クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



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フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調


(vn)ヤッシャ・ハイフェッツ&イスラエル・ベイカー (va)ウィリアム・プリムローズ (vc)グレゴール・ピアティゴルスー (P)レナード・ペナリオ 1961年8月21日~22日録音をダウンロード

  1. フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調「第1楽章」
  2. フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調「第2楽章」
  3. フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調「第3楽章」

紆余曲折を経た高貴なる貴婦人



年を取ったからかもしれませんが、フランクの音楽が本当に自分の気持ちにピッタリと寄り添うようになりました。不思議なものです。

彼の生涯はいわれのない軽蔑と無視にさらされ続けた一生であり、漸くにしてその才能が世に認められた数週間後に不慮の交通事故で世を去ってしまうという、考えようによっては理不尽きわまりないものでした。
しかし、人格破綻者の群れとも言うべきクラシック音楽の作曲家の中で、彼は「聖人」とも言うべきほどの高潔な人格を持った希有な存在でしたから、きっと本人はそんな「些細」な事は気にはしていなかったでしょう。フランクの弟子であり、彼を常に間近で見続けていたダンディは次のように述べていました。
「彼の作曲の動機は、栄光でもなく、金でもなく、安易な成功でもなかった。彼の目的は、芸術を手がかりに、自らの思考と感情を表現しようとすることだった。そして、何よりも、真の意味で彼は謙虚な人だった。」

例えば、あまり芳しい評価をもらえなかった「交響曲 ニ短調」の初演の時でも、彼は帰宅してから妻に「僕のイメージしたように鳴り響いていたよ!」と上機嫌だったという人なのです。

そして、そんなフランクは、当然のことながら理想的な教師でもありました。彼は熱心であり、誠実であり、そして辛抱強くて、さらに言えば当時のフランスにおいて複雑なオーケストレーションを適切に教示できる才能は彼以外にいなかったのです。ですから、優秀な若者は全てフランクの門を叩くことになります。その名を上げていけば、それ以後のフランス音楽の歴史が書けるほどです。ダンディ、ルクー、デュパルク、ショーソン、デュカス、ピエルネ、シャブリエ、ドビュッシ・・・、最後のドビュッシーは考えが合わず彼のもとを去っていくのですが、それでもフランクに対する尊敬の念を生涯失うことはありませんでした。

しかし、そう言う現状を苦々しく思っていたのは音楽院の他の教授達(いわゆる主派は)のようで、自分の門下生がフランクのところへ行こうとすると、親に対して「あなたのご子息は音楽院の努力を無駄にするような教師をさけるべきです」などと手紙を送るような奴もいたのです。

そんなフランクが、もう一度本気で作曲活動に取り組もうとするきっかけを与えたのがワーグナーのトリスタンだったことはよく知られています。
音楽史上希有の「人でなし」の音楽に、音楽史上希有の「聖人」とも言うべき人が影響を受けて本格的に作曲活動を再開するのですから、芸術というのは不思議な営みです。

当時として言えば既に老境とも言うべき60歳を超えてから、彼はねらい打ちをするように一つのジャンルに一つずつ、素晴らしい作品を世に送り出しはじめます。そして、このピアノ五重奏曲もまたその様にして生み出された作品なのですが、これもまた当時の主流派からは無視され、さらには明らかに嘲笑の対象とさえなったのです。

これは考えてみれば本当に不思議なことですが、人というのはつまらぬ先入観が一度刷り込まれてしまうと、ものの本質が何も見えなくなると言う教訓として「他山の石」とすべきなのかもしれません。

聞けば分かることですが、この作品には、彼の最高傑作とも言うべきヴァイオリンソナタと同じ空気感が流れています。それは「匂い立つような貴婦人が風に吹かれて浜辺に立っている姿がイメージ」です。
もちろん、こういう言い方は音楽を文学的にとらえていると批判する人も多いのですが、そんな人には好きに言わせておけばいいのです。

ただし、ヴァイオリンソナの場合はピアノが対峙するのがヴァイオリン一挺なのに対して、こちらは弦楽四重奏が対峙しますから舞台のしつらえが大きくなっています。ですから、この貴婦人のイメージが高貴で上品なだけでなく、彼女がここに至るまでにおくってきたであろう人生の紆余曲折までもが描かれているように聞こえます。しかしながら、そうやって複雑化はしても、そこに漂う「哀しみ」は決して涙に濡れることはなく結晶化していきます。湿度は高くはならないのです。

さて、問題は、この作品を当時の主流派だけでなく、初演を担当したサン=サーンスもまた嘲笑したという事実です。そして、その事が結果として思わぬ事態を引き起こす引き金となってしまいます。
言うまでもないことですが、音楽院の教授達とは異なってサン=サーンスはきわめて優秀な音楽家であり、その才能はフランク自身も高く評価していました。評価していたからこそ、この初演者として依頼したのでしょう。

ところが、何が気に入らなかったのかは今となっては不明ですが、サン=サーンスはこの作品に対して露骨に嫌悪感を示したのです。(サン=サーンスもまた、もとからフランクを嫌っていたという話もあります。)
フランクはサン=サーンスの素晴らしい演奏を素直に喜こんで楽譜の原稿を贈るためにかけよったのですが、サン・サーンスは露骨に顔をしかめて楽譜をピアノの上の放り投げてその場を立ち去ったのです。

この公衆の面前での侮辱があっても、フランクのサン=サーンスに対する評価は変わりませんでしたが、弟子のダンディ達は師のフランクほどには寛容ではありませんでした。
彼らはこの侮辱を生涯忘れることが出来ず、後に彼らがフランス音楽界の主流派にのし上がっていくと、徹底的にサン=サーンスを「時代遅れで保守的な二流の音楽家」として攻撃を始めます。そして、その評価はサン=サーンスに対する一般的な評価として定着してしまうことになるので。
先入観による刷り込みは怖ろしいと言わざるを得ません。

フランクの音楽は洗うだけ洗った後にズッシリと「砂金」が残ることを証明した演奏

フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調


この一連のアルバムの中ではこのフランクが一番上手くいっているように思われます。

ハイフェッツを中心としたこの一連の室内楽演奏は、それぞれの作品にまとわりついている「情」のようなものををそれぞれの名人芸によって楽洗い落としてみて、後に何が残るかを見定めてみようというものでした。
そして、やればやるほどどんどん楽しくなってきたので、ついには聞き手のことなんか綺麗さっぱり忘れてしまって、洗うだけ洗いだしたらこれだけしか残りませんでした・・・みたいな録音になってしまっています。

シューベルトの音楽もその様にして「真実の情」としての「砂金」が最後に示されるたのですが、それはいささかシューベルトの世界とは距離をおいた表現でした。
しかし、フランクの場合は、その唖然とするほど見事なテクニックも相まって、見事なまでにジャストミートしています。なぜならば、フランクの音楽は洗うだけ洗った後にズッシリと「砂金」が残るからです。

そして、その事は結果としてフランクという音楽家の偉大さを如実に示すことになっています。
しかしながら、この作品が発表されたときにほとんどの人がこの音楽の価値を全く理解できなかったのです。

よほど、初演時の演奏が酷かったのでしょうか。
それから、最後に付け加えておきたいのは、ピアノを担当しているレナード・ペナリオの素晴らしさです。冴え冴えとした響きは言うまでもなく、全体とのバランスを保持しながら踏み込むべきところではしっかりと踏み込んでくる表現は実に見事です。
不勉強にして、その名前はほとんど知らなかったのですが、これよりもはるかに下手くそなのに、それなりに名前の通ったソリストとして活動している人はたくさんいますから、クラシック音楽というのも不思議な世界です。


  1. 第1楽章:Molto moderato quasi lento

  2. 第2楽章:Lento, con molto sentimento

  3. 第3楽章:Allegro non troppo, ma con fuoco



聞き手のことなどは殆ど斟酌することなく、おそらくは自分の楽しみのためだけに演奏している雰囲気が漂う演奏



ハイフェッツとピアティゴルスキーは気心の知れた仲を集めて、1961年から1974年にかけて、ハリウッドを中心に室内楽の演奏会を行いました。そして、その演奏会が評判を呼んだので、そこにレコード会社が乗り出してきてある程度まとまった形で録音が残ることになりました。
そして、あれこれ調べていて驚いたのは、その一連の録音は一番最初には3枚組の豪華ボックス盤としてリリースされていることです。

そのボックス盤に収録されていたのは以下の作品です。(RCA Victor LDS 6159)


  1. メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20

  2. フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調

  3. シューベルト:弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956

  4. ブラームス:弦楽六重奏曲ト長調 Op.36

  5. モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516



こういうボックス盤が「新譜」として商業的に成り立ったのは、ハイフェッツとピアティゴルスキーの知名度に加えて、オーディオというものが趣味の王道であった時代背景もあったのでしょう。ピアノ曲やヴァイオリン・ソナタのような形式ならばまだしも、この手の室内楽作品は現在ではほんとに売れませんから、隔世の感があります。
おまけに、かなりの期待を持ってリリースされたにもかかわらず、この録音の評判はあまり芳しくなったようなのです。もっと率直に言えば不評だったのです。

その原因は演奏のスタイルにあります。
あの有名な「100万ドルトリオ」の時代から、ピアティゴルスキーは我の強いソリスト連中の調整役に徹していましたから、この室内楽演奏でも音楽的にはハイフェッツが主導権を握っています。

では、ここで貫かれているハイフェッツのスタイルとはどのようなものかと聞かれれば、それは一言で言えば、「ハードボイルド」と言うことです。

もうそれは「ザッハリヒカイト」という言葉を使うのははばかれるほどに、主観的な領域にまで踏み込んでいると思えるほどに変形させられた超辛口の語り口で貫かれています。
そのスタイルは、ハイフェッツという人が聞き手のことなどは殆ど斟酌することなく、おそらくは自分の楽しみのためだけに演奏している雰囲気が漂うのです。

ハイフェッツという人は60年間にわたって第一線で活躍し続けた人でした。
そう言う演奏家としての人生を支えたのは、驚くほどまでにストイックに自分を律し、コントロールしてきた「勁さ」でした。
ですから、この一連の演奏には、そう言うハイフェッツというヴァイオリニストが持っていた「勁さ」がそのまま刻み込まれているのす。

ですから、それは多くの聞き手が期待するような心地よさとは真逆のものであり、それ故にその超辛口の音楽は多くの聞き手から敬して遠ざけられてしまったのは仕方のないことでした。
ただし、その超辛口な語り口が半端なく上手いのです。

こういう五重奏とか六重奏というのは、常設の室内楽演奏の団体を母体として、そこに不足のパートをプラスして演奏されるのが普通です。
それをハイフェッツやピアティゴルスキーやプリムローズという「超」がつくほどの大物ソリストを軸に演奏するのですから、それはもう唖然とするほどの切れ味なのです。

そして、その「上手さ」はよく訓練された室内楽の団体から感じ取れる上手さ、所謂「緊密極まるアンサンブル」というようなレベルでの上手さではなくて、躍動するような音楽が艶やかな響きでもって明晰に語られていく生命力として感じ取れる類のものなのです。
こういう演奏は今となっては殆ど聞くことのできなくなった演奏だと言い切らねばならないのが悲しいことです。

そう思えば、こういう贅沢な顔ぶれで継続的に室内楽作品を、それも決してメジャーとも言えないような作品も含めて録音できた60年代というのはいい時代だったと言えます。