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ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112)

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 1965年12月6日~10日録音

  1. ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112)「第1楽章」
  2. ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112)「第2楽章」
  3. ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112)「第3楽章」
  4. ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112)「第4楽章」


ボヘミア的な雰囲気が強く漂う交響曲

作曲家としてのドヴォルザークの生涯を振り返ったときに、大きな転機となったのがオーストリア政府の奨励金を受給できるようになったことでした。
それは、オーケストラのヴィオラ奏者としての生活を打ち切って作曲家として生きていく事への自信を与えましたし、何よりもその奨励金の受給を決める選考委員の中にブラームスがいたことです。ブラームスはこのボヘミアの青年が提出した作品に興味を持ち、親交を深めるだけでなく作品の出版に関する便宜も図ってくれたのです。

この時、ブラームスが紹介したのがジムロックだったのですが、第8番の交響曲の出版を巡ってトラブルを引き起こすこともあったものの、その生涯を通じて深い関係を築くことになりました。そして、その事はドヴォルザークの名を世に広めることにもなりましたし、何よりも作曲家としての生活の基盤を安定させることにもつながりました。

そして、そう言う生活の安定は、認めてもらうために古典派やロマン派の音楽から学んだことをほどよく盛り込んで自分のスキルをアピールする必要がなくなったことを意味しました。
また、スメタナを中心とした民族的な音楽を生み出す活動が次第に認められるようになってきた事彼にとっては追い風となりました。
ドヴォルザークもまたその様なスメタナのもとで下働きをしていた時期もあったようなので、彼自身もその様な動きに幾ばくかの貢献も為していたのです。

そして、そう言う「時の流れ」を読み取るのに聡いジムロックは、そう言う民族的な音楽を出版すれな売れると目をつけます。
そこにあらわれたのがドヴォルザークだったわけで、その目論見はスラブ舞曲集の出版で大当たりとなるのです。

ドヴォルザークもまたその成功で作曲家としての基盤を安定させたので、交響曲の分野においても、そう言う民族的な語法を大いに用いた作品を生み出していくようになります。
ドヴォルザークという人は、そう言う作曲家としての契機となる時期になぜか2曲ずつ交響曲を生み出した人だったようで、この時期にも第5番と第6番のボヘミア的な雰囲気が強く漂う交響曲を仕上げています。

第1楽章は「春を迎えたチェコの人々の幸福な気持ち」がえがかれていると言われます。
続く第2楽章のアダージョもメロディーメーカーと言われたドヴォルザークの美質がいかんなく発揮されています。
しかし、とりわけ素晴らしいのは、スラブ舞曲を思わせるような弾んだリズムで構築されるスケルツォ楽章です。

初演の時にこのスケルツォ楽章のアンコールが要求されたというのですが、さもありなんと思える素晴らしさです。
そして、最後のアレグロ楽章も深い幸福感に満ちた音楽になっています。

確かに、これ以後の7番や8番の交響曲と較べるとお約束通り展開している部分が多いのでもう一歩踏み込んでほしいと思う場面がないわけではないのですが、ほとんど「無視」されてしまうような音楽でないことは明らかです。

リズム感の良さと造形の確かさが音楽に素晴らしい生命観を与えている


ドヴォルザークの交響曲と言えば第9番「新世界より」だけが飛び抜けて有名です。そして、美しい旋律のあふれている第8番とブラームス的な佇まいをみせる第7番がそれに続きます。
それ以外の6番以前の交響曲と言うことになると、さて、知識としてそう言う作品があることは知っていても実際に聞いたことがあるという人は少ないのではないでしょうか。
実際、コンサートのプログラムにのることはほとんどありませんし、録音の数も7番以降の作品と較べると桁違いに少ないというのが実態です。

ただし、ヨーロッパではここまでひどい選別はされていないようで、とりわけ中欧の国々ではそれなりに6番以前の交響曲もコンサートのプログラムにのるんだよという話は聞いたことがあります。

少しばかり録音の歴史を調べてみたのですが、この第6番の世界初録音は1938年のヴァツラフ・ターリヒ指揮(チェコ・フィルハーモニー管弦楽団)によるものらしいです。
第9番はすでに1920年代に初録音があったようですが、第8番は1935年、第7番は1938年にそれぞれターリッヒとチェコフィルとのコンビで初録音されていますから、それほど6番の交響曲が無視されていたわけではなかったようです。

ただし、5番以前の交響曲については初録音がいつであったのかはよく分かりませんでした。
しかしながら、ドヴォルザークの交響曲の全容を多くの人にはじめて提示したと言えるのが、このケルテスとロンドン響による全集録音であったことは間違いありません。

ケルテスとロンドン響は以下のような順番でこの全集を完成させています。


  1. 交響曲第8番 ト長調 作品88(B.163):1963年2月22日~26日録音

  2. 交響曲第7番 ニ短調 作品70(B.141):1964年3月5日~6日録音

  3. 交響曲第5番 ヘ長調 作品76(B.54):1965年12月6日~10日録音

  4. 交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112):1965年12月6日~10日録音

  5. 交響曲第3番 変ホ長調 作品10(B.34):1966年10月11日~12日録音

  6. 交響曲第4番 ニ短調 作品13(B.41):1966年10月14日~17日録音

  7. 交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」:1966年11月21日~12月3日録音

  8. 交響曲第2番 変ロ長調 作品4(B.12):1966年11月21日~12月3日録音

  9. 交響曲第1番 ハ短調 作品3(B.9) 「ズロニツェの鐘」:1966年12月1日~3日録音



最も有名な「新世界より」が随分後回しになっているのは、すでにウィーンフィルとの録音がカタログにあったからです。
あらためてケルテスの指揮による録音でそれらの作品を聞いてみると、ここまで「無視」されてしまうほどつまらない音楽ではないことはすぐに分かります。

そして、もう一つ面白いと思ったのは、6番以前の交響曲に関しては5番と6番、3番と4番、1番と2番を2曲ずつセットにして録音をしていることです。
これは、決して営業上の理由で、売れそうにもないマイナー作品をセットにしたというような下世話な理由ではありません。

そうではなくて、ドヴォルザークの初期の交響強曲は、習作期としての1番と2番、世間で認められるために古典派やロマン派の交響曲の成果を積極的に取り入れた3番と4番、そして作曲家としてようやくにして認められることでボヘミアの民族的な色彩を色濃く打ち出した5番と6番というように区分されるからです。

その様なドヴォルザークの作曲家としての成長と発展を意識して全集を仕上げたところに、この録音にかけたケルテスの意欲が読み取れます。

交響曲第6番 ニ長調 作品60

ケルテスはハンガリー出身の指揮者です。ですから、厳密に言えば民族的出自はマジャールでしょうから、チェコのドヴォルザークとは距離的にはお隣でも、その精神の愛用は随分と異なります。
ですから、何となく中欧圏の出身なので「お国もの」なのかと思ってしまうと、とんでもない勘違いを招いてしまいます。

だいたい、ハンガー出身の指揮者って、名前を数え上げるだけで一つのイメージが出来てしまうほどであり、そのイメージは牧歌的なボヘミアの風情とはほど遠いのです。
フリッツ・ライナー、ユージン・オーマンディ、ジョージ・セル、ゲオルグ・ショルティ・・・ですからね・・・。(^^;

ただし、ケルテスはそこまで独裁的でもなければ恐くもありません。
しかし、「民族的情緒」という実体不明のあやふやなものに寄りかかって、アンサンブルや造形の曖昧さを胡塗するような音楽とは遠く離れた位置にあります。たとえば、第2楽章の甘くロマンティックな旋律などはその甘さに引きずられることなく、実に伸びやかで清潔な佇まいを崩すことはありません。
しかし、それでも、ひたすら直線的で厳しい造形を目指した同郷の恐い先輩方とは違って、かなり思い切った曲線的な表情付けで濃厚な音楽を聞かせてくれる場面もあった人でした。

とりわけ見事だと思うのは、第3楽章の弾むようなリズムです。
このあたりのリズム感の良さと造形の確かさは、この楽章に素晴らしい生命観を与えています。

確かに、ドヴォルザークの交響曲全集と言えば、このすぐ後にロヴィツキの全集なども出て唯一絶対というポジションはすぐに失ってしまうのですが、それでも録音のクオリティの高さとも相まって(録音エンジニアはDeccaのKenneth Wilkinsonです!!)、未だその価値は失っていないと断言できます。