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ベートーベン:ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7
(P)クラウディオ・アラウ 1964年3月録音をダウンロード
- ベートーベン:ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7「第1楽章」
- ベートーベン:ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7「第2楽章」
- ベートーベン:ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7「第3楽章」
- ベートーベン:ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7「第4楽章」
愛する女 "Die Verliebte"
若きベートーベンの意気込みがつたわってくるような作品です。作品2の3つのピアノソナタと比べると明らかに規模の大きな作品であり、内容的にも深みを増しています。
何しろ、32曲あるすべてのソナタの中でも最も長く、さらにはもっとも難しい作品の一つになっているのです。
特に、非常に速く演奏することが要求される第1楽章(Allegro molto e con brio)には、その様な困難さが集中しています。ローゼン先生はその具体例として長い跳躍、レガートのオクターブ、きわめて速い分散オクターブ、そして異なる声部が強調されなければならないトレモロなどをあげています。
さらに、第2楽章の「Largo con gran espressione」は、響きの面でも情緒の面でもより充実したものとなっています。
ベートーベンの初期のピアノソナタはあまり聞かれることの少ない作品ですが、聞いていて一番面白いのは緩徐楽章です。順を追って、これら一連の初期ソナタを聞いていくと、その美しい緩徐楽章がより美しく、深みをましていく様子が手に取るように分かります。そして、この第4番の「Largo con gran espressione」を聞くと、作品2のソナタより一段と響きは充実して深い情緒をたたえていることが分かります。
この深い情緒は賛美歌的な歌と、オペラのレチタティーボ的な歌という矛盾する二つの要素を巧みに組み合わせたことからもたらされていて、その効果を十全に発揮するためにはきわめて表情豊かな演奏が要求されます。
ピアニストにとっては、技術的困難を乗り越えた第1楽章の後に、このような緩徐楽章が待ち受けていて、そこからこぼれて落ちるような歌心を発揮しなければいけないのです。それは明らかに、指がまわるだけではどうしようもない、もう一つの異なる難しさです。
シューベルトはこの楽章から深い感銘を受けたと伝えられているのですが、さもありなんと言う感じです。
これに続く第3楽章はメヌエットともスケルツォとも記されていません。作品2のソナタではスケルツォと記していたのですが、それはすでに述べたように基本的にはメヌエットの3部形式から離れるものではありませんでした。
当然の事ながら、その事はベートーベンも十分に理解していたでしょうから、このソナタでも曲想がどちらともつかないために、ベートーベン自身もあえて明記しなかったものと思われます。
最終楽章のロンド形式はモーツァルトのソナタにとって定番のようなフィナーレなのですが、ベートーベンもこの時期においてはその定番に従っています。しかし、中間部では明確に「歌う」事が要求されていて、明るく親しみやすいモーツァルト的なフィナーレから少しずつ離れようとしていることも伺えます。
なお、「愛する女」というのは、このソナタの発表当時につけられたニックネームみたいなもので、全体に漂う優雅な雰囲気からその様な呼び方をされたのでしょう。
最近はその規模大きさから「Grand Sonata」と呼ばれることもあるようです。
- 第1楽章:Allegro molto e con brio
- 第2楽章:Largo con gran espressione
- 第3楽章:Allegro
- 第4楽章:Rondo. Poco Allegretto e grazioso
アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニストと言えそうです
日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。
アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。
まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。
彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。
言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。
こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。
しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づかされるのです。
言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強のようなスタイルで伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。
そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。
特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。
「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界ですから、「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。
しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。
そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。
この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。
そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。
例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。
アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。
アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。
そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。
そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。
逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。
そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。
そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。