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フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード Op.19


(P)ロベール・カザドシュ:レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1961年10月30日録音をダウンロード

  1. フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード Op.19

冒頭の「Andante cantabile」を聞くだけでこの作品を聞く値打ちがある



若きフォーレによる華やかさも備えた作品であり、ともすれば「なんだかよく分からない」と言わざるを得ない晩年の作品とは一番遠く隔たった位置にある作品です。ところが世の中には、「わかりにくい=高尚」とでも言うようなスノッブな思いこみでも擦り込まれているのか、この作品をのことを「初期の未熟さと才能の萌芽が同時に示された作品」などと書いている人もいるのです。

私などは、冒頭のしみじみとした、どこか過ぎ去りし日々に思いを巡らせるようなメロディを聴くだけで、もう十分に心が満たされるのですが、それだけでは不十分なんでしょうか。

1877年の暮れに、フォーレはサン=サーンスの「サムソンとデリラ」の初演を見るためにヴァイマールに出かけるのですが、この時サン=サーンスの紹介によってフランツ・リストの知遇を得ます。そして、その縁もあってか、1882年にフォーレにはチューリヒにリストを訪ねてこの「バラード」を見てもらっています。

伝えられる話では、リストはピアノに向かい曲の冒頭を弾き始めたのですが、5~6ページ進むと「指が足りない」と言い出して演奏をやめてしまいます。そして、続きはフォーレに弾かせたのですが、「指が足りない」と言われたフォーレは非常なプレッシャーを感じながら続きを演奏したと後年の対談で語っています。

このエピソードのためにか、この作品はリストですら手こずらせたと言うことで演奏至難な作品と言われることもあるのですが、それは誤解です。
ピアニストにとっては易しい作品でないことは事実ですが、とんでもない難曲というわけでもないようです。
おそらく、リストが「指が足りない」と行ったのは、フォーレ特有の転調が理解できなかったものと思われます。そして、その事がフォーレの音楽を特徴づける最大の要因となっていくのですが、ここでは晩年ほどには「わけが分からない!!」と言う状態にはなっていません。

それでも、リストに「指が足りない」と言わせるだけの「晦渋」さはすでに健在だったわけであり、それ故にリストはこの作品をオーケストラ伴奏付きの作品に書き直すことをすすめます。
フォーレ自身もピアノ独奏曲としては煩わしいわりには演奏効果が上がらないと判断したようで、初演はオーケストラ伴奏版で行われました。

作品は通して演奏されるのですが、明らかに3つの異なる部分から出来ていることは容易に聞き取ることが出来ます。

冒頭の叙情的な旋律はフォーレが終生愛した音型でした。
4度から5度の下降跳躍の後に少しずつ上行していく音型は「比類なき叙情性」を感じさせますから、これを何度も多くの作品で活用したのです。そして、この「Andante cantabile」の部分を聞くだけで、この作品を聞く値打ちがあるというものです。


  1. 第一部(1~84小節 Andante cantabile→Allegro moderato)
    エピソード(85~102小節 Andante)

  2. 第二部(103~159小節 Allegro)
    エピソード(160~171小節 Andante)

  3. 第三部(172~264小節 Allegro moderato)



「緩」と「急」が交互に交錯しながら、最後は「Allegro moderato」で華々しく締めくくられるのもフォーレにしては珍しい音楽かもしれません。

心静かにこういう音楽で1年を締めくくるのもいいのかなと思います

若い頃は、一年の最後には格好つけてバッハのマタイ受難曲なんかを聴いていたものですが、年を重ねると、心静かにこういう音楽で締めくくるのもいいのかなと思ってきました。
ただし、演奏はバーンスタインとカサドシュなので、フィナーレに向けては結構華やかに盛り上がりますから、「枯れる」にまでは至っていない現状では、いろいろな意味でピッタリかもしれません。

ちなみに、バーンスタインとカサドシュは同じ日にもう1曲、サン=サーンスのピアノ協奏曲も録音しています。
この一気に録音を済ませてしまうやり方はこの時代のバーンスタインの特長なのですが、それでも2曲を1日で済ませてしまうと言うのは、ピアニストがカサドシュだったからこそ可能だったのでしょうね。

サン=サーンスのコンチェルトと違って、フォーレのバラードは元がピアノ独奏曲ですから、流石にオケは脇役にまわっています。脇役にまわっていますが、最後の盛り上げはやはりバーンスタインらしい見事な盛りあげ方です。

しかしながら、肝心のカサドシュはそこで大見得を切るはずもなく、ニューヨークフィルとの間でのバランスを保持することに心を砕いています。
本当に、この人は驚くほどに前へしゃしゃり出てこない人です。

ですから、少しばかり上手くいかない部分があっても、バーンスタインが上機嫌でOKを出せば、それに異を唱えることはなかったのでしょう。

考えてみれば、実演での精度なんてものはこんなものです。
ほんの些細な傷でさえも我慢がならないというようなスタンスの方もおられるようですが、もう少し心は広く持てば人生は随分と楽になるのに、等と思ってしまいます。