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モーツァルト:交響曲第28番ハ長調K.200(189k)
ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1965年10月1日~2日録音をダウンロード
- モーツァルト:交響曲第28番ハ長調K.200(189k) 「第1楽章」
- モーツァルト:交響曲第28番ハ長調K.200(189k) 「第2楽章」
- モーツァルト:交響曲第28番ハ長調K.200(189k) 「第3楽章」
- モーツァルト:交響曲第28番ハ長調K.200(189k) 「第4楽章」
ザルツブルグにおける宮仕え時代の作品・・・ザルツブルグ交響曲
ミラノでのオペラの大成功を受けて意気揚々と引き上げてきたモーツァルトに思いもよらぬ事態が起こります。それは、宮廷の仕事をほったらかしにしてヨーロッパ中を演奏旅行するモーツァルト父子に好意的だった大司教のシュラッテンバッハが亡くなったのです。そして、それに変わってこの地の領主におさまったのがコロレードでした。コロレードは音楽には全く関心のない男であり、この変化は後のモーツァルトの人生を大きな影響を与えることになることは誰もがご存知のことでしょう。
それでも、コロレードは最初の頃はモーツァルト一家のその様な派手な振る舞いには露骨な干渉を加えなかったようで、72年10月には3回目のイタリア旅行、さらには翌年の7月から9月にはウィーン旅行に旅立っています。そして、この第2回と第3回のイタリア旅行のはざまで現在知られている範囲では8曲に上る交響曲を書き、さらに、イタリア旅行とウィーン旅行の間に4曲、さらにはウィーンから帰って5曲が書かれています。
これら計17曲をザルツブルグ交響曲という呼び方でひとまとめにすることにそれほどの異論はないと思われます。
<ザルツブルク(1772年)>
- 交響曲第14番 イ長調 K.114
- 交響曲第15番 ト長調 K.124
- 交響曲第16番 ハ長調 K.128
- 交響曲第18番 ヘ長調 K.130
- 交響曲第17番 ト長調 K.129
- 交響曲第19番 変ホ長調 K.132
- 交響曲第20番 ニ長調 K.133
- 交響曲第21番 イ長調 K.134
K128~K130は5月にまとめて書かれ、さらにはK132とK133は7月に書かれ、その翌月にはK134が書かれています。これらの6曲が短期間に集中して書かれたのは、新しい領主となったコロレードへのアピールであったとか、セット物として出版することを目的としたのではないかなど、様々な説が出されています。
他にも、すでに予定済みであった3期目のイタリア旅行にそなえて、新しい交響曲を求められたときにすぐに提出できるようにとの準備のためだったという説も有力です。
ただし、本当のところは誰も分かりません。
この一連の交響曲は基本的にはハイドンスタイルなのですが、所々に先祖返りのような保守的な作風が顔を出したと思えば(K129の第1楽章が典型)、時には「first great symphony」と呼ばれるK130の交響曲のようにフルート2本とホルン4本を用いて、今までにないような規模の大きな作品を仕上げるというような飛躍が見られたりしています。
アインシュタインはこの時期のモーツァルトを「年とともに増大するのは深化の徴候、楽器の役割がより大きな自由と個性に向かって変化していくという徴候、装飾的なものからカンタービレなものへの変化の徴候、いっそう洗練された模倣技術の徴候である」と述べています。
<ザルツブルク(1773~1774年)>
- 交響曲第22番 ハ長調 K.162
- 交響曲第23番 ニ長調 K.181
- 交響曲第24番 変ロ長調 K.182
- 交響曲第25番 ト短調 K.183
- 交響曲第27番 ト長調 K.199
- 交響曲第26番 変ホ長調 K.184
- 交響曲第28番 ハ長調 K.200
- 交響曲第29番 イ長調 K.201
- 交響曲第30番 ニ長調 K.202
アインシュタインは「1773年に大転回がおこる」と述べています。
1773年に書かれた交響曲はナンバーで言えば23番から29番にいたる7曲です。このうち、23・24・27番、さらには26番は明らかにオペラを意識した「序曲」であり、以前のイタリア風の雰囲気を色濃く残したものとなっています。
しかし、残りの3曲は、「それらは、・・・初期の段階において、狭い枠の中のものであるが・・・、1788年の最後の三大シンフォニーと同等の完成度を示す」とアインシュタインは言い切っています。
K200のハ長調シンフォニーに関しては「緩徐楽章は持続的であってすでにアダージョへの途上にあり、・・・メヌエットはもはや間奏曲や挿入物ではない」と評しています。
そして、K183とK201の2つの交響曲については「両シンフォニーの大小の奇跡は、近代になってやっと正しく評価されるようになった。」と述べています。そして、「イタリア風シンフォニーから、なんと無限に遠く隔たってしまったことか!」と絶賛しています。
そして、この絶賛に異議を唱える人は誰もいないでしょう。
時におこるモーツァルトの「飛躍」がシンフォニーの領域でもおこったのです。そして、モーツァルトの「天才」とは、9才で交響曲を書いたという「早熟」の中ではなく、この「飛躍」の中にこそ存在するのです。
このアンダンテ楽章をこれほど美しく演奏してみせた指揮者は他にはいません
セルはステレオ録音で以下のモーツァルトの交響曲を残しています。- 交響曲第28番ハ長調K.200(189k)
- 交響曲第33番変ロ長調K.319
- 交響曲第35番二長調K.385「ハフナー」
- 交響曲第39番変ホ長調K.543
- 交響曲第40番ト短調K.550
- 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
35番以降はいわゆるモーツァルトの「後期交響曲」と言われる作品であり、33番はいわゆる「パリ・シンフォニー」の仲間に分類される作品ですから、それなりに演奏機会も録音も多い作品です。
しかし、それらと較べれば28番の交響曲はかなりのマイナー作品であり、いわゆる「ザルツブルグ交響曲」としてグルーピングされる作品群の中でも取り立てて認知度が高いわけでもありません。この仲間で言えば、まずは25番のト短調シンフォニーであり、29番のイ長調シンフォニーを取り上げるのが普通です。
実際、セルは57年のザルツブルグ音楽祭に招かれて、ベルリンフィルを指揮してこのイ長調シンフォニーを演奏しています。しかし、なぜか、クリーブランド管とのステレオ録音ではその29番ではなくて、きわめてマイナーな28番のハ長調シンフォニーを選択しているのです。
そして、正直に申し上げれば、私はセルの数あるモーツァルト録音の中で、この28番の交響曲が一番好きでした。おそらく、セルもこの交響曲が大好きだったんだと思います。
第1楽章冒頭は飛び跳ねるようなトゥッティから開始されるのですが、そこにはセルという男に常につきまとうどこか不機嫌そうな表情は欠片もありません。ちなみに、セルはこの第1楽章でティンパニーを追加しているのですが、それは20世紀初頭までは存在が確認されていながら、その後、行方不明となった筆写譜に基づくものようです。
新全集では自筆譜で確認されないものは採用しないというストイックな姿勢をとっているのでこのティンパニーは省かれているのですが、このセルの演奏を聞けば、これこそがモーツァルトの意図であったことは明らかです。
しかし、私がこの録音で一番魅了されるのはそれに続くアンダンテ楽章です。
ここでは、協奏交響曲(K.364)の第2楽章でみせたセルの透明感あふれるロマン性と全く同じものが満ちています。
このアンダンテ楽章をこれほど美しく演奏してみせた指揮者は他にはいませんし、さらに言えば、そう言うセルの意図に応えて、これほどまでに見事に素材の味わいを損なうこと無しに演奏してみせたオーケストラもありませんでした。
若い頃は、この楽章を聞くたびにため息をついては針をあげ、再びこの楽章の始まりの部分に針を落としたものです。
それにしても、セルのことを機械的で冷たいとか、素っ気なくて味わいにかけるモーツァルトなどと言った奴は地獄に堕ちるべきです。
しかし、考えようによっては、そう言う「レッテル」というものは「業績の一端をかすめて思いついたことだけですべてを断定する」というやり方で「評論」という仕事が成り立っていた時代の「遺物」です。
そして、この録音はそのような「いかがわしさ」を見事なまでに照らし出してくれるのですから、痛快といえば痛快です。