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リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125

(P)バイロン・ジャニス ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団 1962年6月12日~14日&16日録音

  1. リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125 [1.Adagio sostenuto assai -]
  2. リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125 [2.Allegro agitato assai -]
  3. リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125 [3.Allegro moderato -]
  4. リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125 [4.Allegro deciso -]
  5. リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125 [5.Marziale un poco meno allegro -]
  6. リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125 [6.Allegro animato]



ある意味ではリストが求めたものがもっともはっきりと具現化された作品

19世紀においてはピアノの王者としてヨーロッパに君臨したリストですが、その評価は下がる一方であり、現在では「ラ・カンパネラ」とか「愛の夢」のようなごく限られたピアノ曲しかレパートリーにあがらなくなってしまいました。

ただし、この傾向は今に始まったことではなくて、20世紀に入った頃にはすでに演奏される作品の範囲は限られたものとなっていたようです。
そのことは、一部の方からリストに対するリクエストをいただいて、何かいい音源はないものかと探してみて、あまりの数の少なさに驚かされたことからも、その不人気ぶりを確認することができました。

このピアノ協奏曲の第2番も今ではほとんど演奏される機会のないマイナーな作品となっています。

第1番に関してはそれでもときおりレパートリーにあがることもあるのですが、この2番に関しては1番のカップリングとして埋め合わせ的に収録されるような風情は否定し切れません。

しかし、あのバルトークがリストを高く評価していたことはあまり知られていない事実です。
砂糖菓子のようにひたすら甘くてロマンティックなピアノ音楽ばかりを書いたと思われがちなリストですが、バルトークはその中にドビュッシーや新ウィーン学派の音楽につながるような先見性を見つけていたようです。

今後、リストに対する再評価が進むのかどうかは分かりませんが、今のような「ラ・カンパネラ」とか「愛の夢」だけの作曲家みたいな認識のされ方はいささかひどすぎるかもしれません。

この第2番とナンバーリングされたピアノ協奏曲は1839年に創作をされているのですが、その後何度も補筆が加えられ、1848年には「交響的協奏曲」という名称を与えられています。
たしかに、単一楽章で構成されたこの作品はピアノ付きの交響詩という雰囲気をもっています。

その後も、この作品は楽譜として出版される1863年まで、事あるごとにリストが手を加えつづけたようで、ある意味ではリストが求めたものがもっともはっきりと具現化された作品だといえます。
それぞれに好みはあるでしょうが、完成度という点では第1番の協奏曲よりも頭一つ抜けているのではないでしょうか。


  1. 第1楽章:Adagio sostenuto assai - Allegro agitato assai - Un poco piu mosso - Tempo del andante -

  2. 第2楽章:Allegro moderato -

  3. 第3楽章:Allegro deciso - Marziale un poco meno allegro - Un poco animato - Un poco meno mosso -

  4. 第4楽章:Allegro animato



逞しいテクニックでねじ伏せた背景から「そこはかとない幻想性」がにじみ出る


ジャニスというピアニストは「ホロヴィッツの弟子」と言うことがよく言われます。そして、彼のことを「ホロヴィッツのコピー」「ミニ・ホロヴィッツ」のようにとらえる向きもあります。しかし、彼が最初からその様な存在ではなかったことは、彼の「ラプソディー・イン・ブルー」の録音を取り上げたときに少しばかりふれました。

彼の録音を聞いてみると、不思議なことなのですが、ホロヴィッツのもとを去って時が経てば立つほどにジャニスらしさを失ってホロヴィッツのコピーになっていくような気がするのです。

ホロヴィッツはジャニスに対して「オレのコピーになるな」と言い続けたそうなのですが、一度身近にホロヴィッツを感じとったものにとって、その誘惑を拒絶し続けるのは途轍もなく難しかったのでしょう。
そして、その誘惑に抗うことが出来なかった代償が「指の故障」でした。

結果として彼のキャリアは実質的には60年代に終了することになります。そして、80年代に「奇蹟の復活」を遂げるのですが、そこには若い頃の輝きはありませんでした。

しかし、その抗しきれない魅力のゆえに追い続けたホロヴィッツの幻影は、ホロヴィッツがなぜか録音しなかった作品において素晴らしい魅力を発揮したというのは皮肉な話でした。
そう言う録音の第一に指が折れるのはラフマニノフの2番でしょう。

ホロヴィッツがあの魅力的な音楽を一度も録音しなかったというのは不思議な話なのですが、そう言う不思議こそがホロヴィッツだったのでしょう。
そして、そう言う作品をジャニスが取り上げると、それは確かに素晴らしい演奏であり、その事に何の疑いももたないのですが、それと同時に、「もしもホロヴィッツがこの作品を取り上げていればおそらくこんな風に演奏したんだろうな」という思いもまたつきまとってしまう演奏になるのでした。

そして、ある時を境に、ホロヴィッツはラフマニノフやチャイコフスキーのような、オーケストラがピアノに被さってくるような協奏曲は演奏しなくなりました。
想像にしかすぎませんが、そうやってホロヴィッツが身を引いてしまった世界において、自らがホロヴィッツのように振る舞う誘惑に打ち勝つことが出来なかったのかもしれません。

そして、私の知る限りでは、このリストの協奏曲もまた、ホロヴィッツは一度も録音しなかったはずです。
リストの超絶技巧はホロヴィッツの独壇場であり、とりわけ40年代から50年代にかけて残されている録音は聞くものに戦慄を覚えさせるほどの凄みがありました。それ故に、彼がこの協奏曲の録音を残さなかったのは不思議といえば不思議な話です。

しかしながら、こういうお膳立てはジャニスにとっては強烈な誘惑を呼び起こすものだったのでしょう。
強靱で逞しいテクニックでこの作品をねじ伏せていくジャニスの演奏を聞けば、多くの人がリストの協奏曲に求めるものを見事なまでに表現していることを認めざるを得ません。
しかし、それを認めながらもラフマニノフの2番で感じたのとほぼ同じようなことも感じてしまうのです。

ただし、ジャニスの逞しいテクニックの背景から、ケンプの演奏で感じたような幻想的な味わいが感じ取れる部分があることに気づきます。
そして、最後まで聞き終わって、もしかしたらリストはこの作品で目指したのはピアノの超絶技巧のひけらかしではなく、ケンプが示してくれたような幻想性の表現だったのではないかと気づかされるのです。
そして、音楽そのものにその様な力があるがゆえに、ジャニスがそのテクニックでねじ伏せたとしても、その背景からそこはかとない幻想性がにじみ出たのかもしれません。

そう考えれば、ホロヴィッツがこの作品を取り上げなかった理由も分かるような気がします。
ただし、晩年のホロヴィッツがあのケンプのようなテイストで録音することは可能だったような気もするのですが、どちらにしても年をとったホロヴィッツはその様な骨の折れる仕事はしたくはなかったのでしょう。