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マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1966年10月4日録をダウンロード
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マーラーの青春の歌
偉大な作家というものはその処女作においてすべての要素が盛り込まれていると言います。作曲家に当てはめた場合、マーラーほどこの言葉がぴったり来る人はいないでしょう。
この第1番の交響曲には、いわゆるマーラー的な「要素」がすべて盛り込まれているといえます。ベートーベン以降の交響曲の系譜にこの作品を並べてみると、誰の作品とも似通っていません。
一時、ブルックナーとマーラーを並べて論じる傾向もありましたが、最近はそんな無謀なことをする人もいません。似通っているのは演奏時間の長さと編成の大きさぐらいで、後はすべて違っているというか、正反対と思えるほどに違っています。
基本的に淡彩の世界であるブルックナーに対してマーラーはどこまで行っても極彩色です。基本的なベクトルがシンプルさに向かっているブルックナーに対して、マーラーは複雑系そのものです。
その証拠に、ヴァントのように徹底的に作品を分析して一転の曖昧さも残さないような演奏スタイルはブルックナーには向いても、マーラー演奏には全く不向きです。ヴァントのマーラーというのは聞いたことがないですが(探せばあるのかもしれない?)、おそらく彼の生理には全く不向きな作品です。
逆に、いわゆるマーラー指揮者という人はブルックナーをあまり取り上げないようです。
たとえば、バーンスタインのブルックナーというのはあるのでしょうか?(追記:ありますね)
あったとしても、あまり聞きたいという気にはならないですね。
そういえば、彼のチャイコフスキー6番「悲愴」は、まるでマーラーのように響いていました。
それから、テンシュテット、彼も骨の髄までのマーラー指揮者ですが、他のマーラー指揮者と違って、めずらしくたくさんのブルックナーの録音を残しています。しかし、スタジオ録音ではあまり感じないのですが、最近あちこちからリリースされるライブ録音を聞くと、ブルックナーなのにまるでマーラーみたいに響くので、やっぱりなぁ!と苦笑してしまいます。
バーンスタインの若き青春の情熱がほとばしる演奏
録音のクレジットなどと言うものは無味乾燥なものなのですが、こういうサイトを長くやっていると、そう言う無味乾燥なデータの背景から色々なことが見えてるものです。なぜならば、こういうデータというのは「今聞いている」録音に付随するデータという「点」として意識されるのが普通なのですが、こういうサイトを長きにわたって運営していると、そう言うデータの「点」と「点」が結びついて「線」になってくるからです。
- Symphony No. 4 February 01, 1960
- Symphony No. 3 April 03, 1961
- Symphony No. 5 January 07, 1963
- Symphony No. 2, "Resurrection" September 30, 1963
- Symphony No. 7 December 15, 1965
- Symphony No. 9 December 16, 1965
- Symphony No. 8, "Symphony of a Thousand" April 20, 1966(London Symphony Orchestra)
- Symphony No. 1 October 04, 1966
- Symphony No. 6, "Tragic" May 06, 1967
どの作品をどの時期に録音するのかと言うことに関しては、様々な要素が絡みます。
バーンスタインにしてみれば、1960年に第4番の交響曲を録音した時点で、マーラーの全交響曲をコンプリートすることは視野に入っていたはずですし、レーベルもその事を承知していたはずです。
その事を考えれば、第4番に続いて第3番を録音したのはバーンスタインの意志が強く働いたものと思われます。
しかし、この第3番の録音は日本ではわずか1年でカタログから姿を消してしまい、60年代にそれが復活することはありませんでした。今から見れば、バーンスタインの暑すぎるほどの情熱が感じ取れる演奏だったと思うのですが、当時の聞き手にとってこの交響曲は手に余るほどの巨大さを持った作品だったのでしょう。
そこで、続く63年には、マーラー作品の中ではそれなりに認知度の高い「復活」と「第5番」が録音されるのですが、そこにはレーベル側の意向がある程度は反映したのではないかと思われます。
ただし、そうなると不思議なのは、第1番「巨人」の録音がどうしてこんなにも後回しになったのかと言うことです。
サイズ的にはベートーベンの第9よりも小さいですし、ロマン派の規模の大きな交響曲と同じくらいの規模の作品ですから、いわゆる「常識」の範疇に辛うじて留まっています。ですから、マーラー作品の中では第4番と並んでもっとも受容しやすい作品です。
フィナーレが華々しく終結するというのも(それが勝利の凱歌かどうかはひとまず脇におくとして)、ベートーベンの「運命」以降の定番の枠の中に入っています。
そうして気付くのは、ワルター&コロンビア響による「巨人」の録音です。
レーベルにしてみれば、カタログの中での競合を避けたかったのでしょう。
そう言えば、第9番の交響曲は65年に録音されながら初出は68年になっています。おそらく、この「塩漬け」もワルターとの競合を避けたかったレーベル側の意向が働いたのでしょう。
しかし、そのワルターの呪縛はバーンスタインにとっても小さいものではなかったのかも知れません。
とりわけ、あのコロンビア響との「巨人」の録音は「決定盤」としての地位を今も失っていない不滅の「名盤」です。ですから、バーンスタインにとって、このプロジェクトにおいて「巨人」を録音するというのは、そこに対して何か新しく付け加えるものがなければ意味がないと言うことになります。
バーンスタインにとってマーラー作品はほとんど鍬の入っていない未開の大地でした。ですから、そこで彼は思う存分、自分のオリジナリティを発揮することが出来たのですが、この「巨人」だけはワルター爺さんによってしっかりと鍬が入っていたというわけです。
ですから、この録音が後回しになると言うのは、バーンスタインにとっては悪い話ではなかったのかも知れません。
おそらく、彼は入念にマーラーのスコアを読み込んだはずです。
そして、バーンスタインならではの「巨人」をつかみ取れたという確信が持てた状態でこの録音に臨んだことは、この演奏を聞く限りは明らかです。
ありきたりの言い方になるのですが、まさに「手の内に入った」演奏になっています。
おそらく、これほどまでに青春の情熱がほとばしる歌心に満ちた演奏はそうあるものではありません。
まさに聞き手の側からすれば、マーラーが入念に書き込んだあらゆるフレーズが、バーンスタインの指揮を通して自由自在に歌い継がれていきます。そして、時に爆発し、たたみかけるように音楽が突き進んでいく場面では、まさに雪崩落ちるかのように音楽が展開されます。
そこには作為の影もなく、驚くほどの自由さでマーラーとバーンスタインが一体となっています。
それから、聞き逃してはいけないのは終楽章の華やかなフィナーレにどこか苦さがつきまとっていることです。
そして、それは明らかにバーンスタインの解釈によるものでしょう。
考えてみれば62年にキューバ危機を経験し、各線一歩手前の恐怖を実体験した後に、その様なお気楽な勝利の凱歌をあげることなどは出来るはずもないのです。
そして、マーラーの音楽もまた世紀末の閉塞状況を反映しているのですから、ベートーベンのように暗から明へと何の留保も無しに歌い上げるはずはないのです。
そう考えてみれば、このバーンスタインの演奏は最後の苦い勝利という結論から逆算されて組み立てられているのではないかという気がします。そう思って、第3楽章の動物たちの葬送を聞いてみればそこに何とも言えない苦い皮肉を聞き取ることが出来ルような気がします。
そして、その様な視点はワルター爺さんの世代には無縁なものだったのですから、やはりバーンスタインはいい仕事をしたと言うことです。
ただし、一つだけ残念なのは、これが録音された66年というのは、ニューヨークフィルのアンサンブル能力ははっきりと劣化してしまっていたことです。
そして、それを補うためだと思われるのですが、録音のステージイメージがどこか紙芝居的な横並びになっています。
個々の楽器の響きは悪くはないのですが、それを一つのアンサンブルとしてまとめ上げていくことに指揮者もオケも長年の習慣で疎かになっていることは否定できません。