クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



FLAC データベース>>>Top

ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」


ゲオルク・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年5月録音をダウンロード

  1. Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 Eroica [1.Allegro con brio]
  2. Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 Eroica [2.Marcia funebre. Adagio assai]
  3. Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 Eroica [3.Scherzo. Allegro vivace - Trio]
  4. Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 Eroica [4.Finale. Allegro molto]

音楽史における最大の奇跡



この交響曲は「ハイリゲンシュタットの遺書」と結びつけて語られることが多いのですが、それは今回は脇においておきましょう。
その様な文学的意味づけを持ってこなくても、この作品こそはそれまでの形式にとらわれない、音の純粋な芸術性だけを追求した結果として生み出された雄大にして美しい音楽なのですから。
それゆえに、この作品は「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのです。

それでは、その「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのはどんな世界なのでしょうか?

まず一つめに数え上げられるのは主題の設定とその取り扱いです。

ベートーベン以前の作曲家がソナタ形式の音楽を書こうとすれば、まず何よりも魅力的で美しい第1主題を生み出すことに力が注がれました。
しかし、ベートーベンはそれとは全く異なる手法で、より素晴らしい音楽が書けることを発見し、実証して見せたのです。

冒頭の二つの和音に続いて第1楽章の第1主題がチェロで提示されます。

第1楽章の主題




nodame_3_1

「運命」がたった4つの音を基本的な構成要素として成立したことと比べればまだしもメロディを感じられますが、それでもハイドンやモーツァルトの交響曲と比べればシンプルきわまりないものです。
それは、もはや「主題」という言葉を使うのが憚られるほどにシンプルであり、「構成要素」という言葉の方が相応しいものです。

しかし、そんな小難しい理屈から入るよりは、実際に音楽を聞いてみれば、このシンプルきわまりない構成要素が楽章全体を支配していることをすぐに了解できるはずです。
もちろん、これ以外にもいろいろな楽想が提示部に登場しますが、この構成要素の支配力は絶対的です。
そして、この第1主題に対抗するべき柔和な第2主題が登場してきてもその支配力は失われないのです。

ベートーベンは音楽の全てがこの構成要素から発し、そしてその一点に集中するようにな綿密な設計に基づいて交響曲を書き上げるという「革新」をなしえたのです。
そして、第5番「運命」ではたった4つの音を基本的な構成要素として巨大な交響曲全体を成立させるという神業にまで至ります。単純きわまる構成要素を執拗に反復したり、その旋律を変形・重複させたり、さらには省略することで切迫感を演出することで、交響曲の世界を成立させてしまったのです。

音楽において絶対と思われた「歌謡性」をバラバラの破片に解体し、その破片を徹底的に活用することで巨大な建築物を作り上げる手法を編み出してしまったのです。
しかしながら、これが「奇蹟」の正体ではありません。それは正確に言えば「奇蹟」を実現するための「手段」でした。

二つめに指摘しなければいけないのは、「デュナーミクの拡大」です。
もちろん、ハイドンやモーツァルトの交響曲においても「デュナーミク」は存在しています。

「デュナーミク」とは日本語にすると「強弱」と言うことになるのですが、つまりは強弱の変化によって音楽に表情をつける事を意味します。通常はフォルテやピアノと言った指示やクレッシェンド、ディミヌエンドなどの記号によって指示されるものです。
ベートーベンはこの「デュナーミク」の幅を飛躍的に拡大してみせたのです。

主題が歌謡性に頼っていれば、そこで可能なデュナーミクはクレッシェンドかディミヌエンドくらいです。音量はなだらかに増減するしかなく、そこに急激な変化を導入すれば主題の形は壊れてしまいます。
しかし、ベートーベンはその様な歌謡性を捨てて構成要素だけで音楽を構成することによって、未だ考えられなかったほどにデュナーミクを拡大してみせたのです。
そして、それこそが「奇蹟」の正体でした。

構成要素が執拗に反復、変形される過程で次々と楽器を追加していき、その頂点で未だかつて聞いたことがないような巨大なクライマックスを作りあげることも可能となりました。
延々とピアニッシモを維持し続けた頂点で突然のようにフォルティッシモに駆け上がることも可能です。
さら言えば、その過程で短調から長調への転調も可能なのです。

結果として、ハイドンやモーツァルトの時代には考えられないような、未だかつてない大きさをもった音楽が聴衆の前に現れたのです。そして、その「大きさ」を実現しているのが「デュナーミクの拡大」だったのです。

とは言え、この突然の変貌に対して当時の人は驚きを感じつつも、その強烈なインパクトに対してどのように対応して良いものか戸惑いはあったようです。
当時の聴衆にとってこれは異形の怪物ととも言うべき音楽であり、第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

しかし、この音楽が聞くもののエモーショナルな側面に強烈に働きかける事は明らかであり、最初は戸惑いながら、やがてはその感情に素直となってブラボーをおくることになったのです。

しかしながら、交響曲は複数の楽章からなる管弦楽曲ですから、この巨大な第1楽章受けて後の楽章をどうするのかという問題が残ります。
ベートーベンはこの「エロイカ」においては、巨大な第1楽章に対抗するために第2楽章もまた巨大な葬送行進曲が配置することになります。

第2楽章の主題




nodame_3_2

ベートーベンは、このあまりにも有名な葬送のテーマでしっかりと第1楽章を受け止めます。

しかし、ここで問題が起こります。
果たして、この2つの楽章を受けて続く第3楽章は従前通りの軽いメヌエットでよいのか・・・と言う問題です。

答えはどう考えても「否」です。

そこで、ベートーベンは第2番の交響曲に続いて、ここでも当然のようにスケルツォを採用することになります。
つまりは、優雅さではなくて諧謔、シニカルな皮肉によって受け止めざるを得なかったのです。

ベートーベンはこの「スケルツォ」という形式を初期のピアノソナタから使用しています。しかしながら、その実態は伝統的なメヌエット形式を抜け出すものではありませんでした。
そこでの試行錯誤の結果として、彼は第2番の交響曲でついにメヌエットの殻を打ち破る「スケルツォ」を生み出すのですが、その一つの完成形がここに登場するのです。

そして、これら全ての3つの楽章を引き受けてまとめを付けるのが巨大な変奏曲形式の第4楽章です。
ベートーベンはこの主題がよほどお気に入りだったようで、「プロメテウスの創造物」のフィナーレやピアノ用の変奏曲などでも使用しています。

第4楽章の主題




nodame_3_4-1

しかしながら、交響曲という形式は常に、この最終楽章をどのようにしてけりをつけるのかという事が悩ましい問題として残ることになります。

ありとあらゆる新しい試みと挑戦が第1楽章で為され、それを引き受けるために第2楽章は緩徐楽章で、第3楽章はスケルツォでという「スタイル」が出来上がっても、それらすべてを引き受けて「けり」をつける最終楽章はどうすべきかという「形式上の問題」は残り続けるのです。
ベートーベンはここでは「変奏曲形式」を用いることでこの「音楽史上の奇蹟」を見事に締めくくってみせたのですが、それは必ずしも常に使える手段ではありませんでした。

しかしながら、この「エロイカ」の登場によって、「交響曲」という音楽形式はコンサートの前座を務める軽い音楽からクラシック音楽の王道へと変身を遂げた事は事実です。
そして、それはまさに「これからは新しい道を進もうと思う」と述べた若きベートーベンの言葉が、一つの到達点となって結実した作品でもあったのです。

気合いの入った鋭角的な表現がウィーン・フィルとの間で軋みを生じている

私の中ではショルティと言えばつい最近なくなったような感覚があるのですが、確認してみれば20世紀の終わりには既に亡くなっているのであって、没後から既に20年以上の歳月が過ぎ去っているのです。
これは何とも言えず不思議な感覚であって、そう言えばカラヤンなんかもこれと似たような感覚を与えてくれる存在でした。

おそらく、そう言う感覚を持ってしまう背景には、膨大な録音を残したことと、その膨大な録音の少なくない部分が現役盤として長く流通していたことが大きな要因だったのかも知れません。
そして、もう一つこの両者に共通点があるとすれば、存命中は多くのアンチ・ショルティ、アンチ・カラヤンによってボロクソに言われ、とりわけコアなクラシック音楽ファンからは目の敵にされていたと言うことです。

しかし、その経歴を眺めていると、この両者は両極端とも言える存在であったことにも気づかされます。
カラヤンは戦前のドイツにおいて積極的にナチス党員になることによってキャリアを積み重ねていきました。しかし、ドイツの敗戦によってその経歴は大きなマイナスとなり演奏禁止の処分が受けることになるのですが、その苦境を救ったのがEMIのレッグでした。

それに対して、1946年に殆ど無名だったショルティがバイエルンの歌劇場のシェフにおさまることが出来たのは、非ナチ化によって脛に傷を持つドイツ人音楽家が駆逐されたことが大きな要因でした。さらに言えば、その抜擢の背景にはナチスを断固として許さなかったトスカニーニやエーリヒ・クライバーの後押しがあったことをショルティは認めています。

そのおかげで、ミュンヘンにおいてはそれなりに名を知られた指揮者になっていくのですが、そこからさらに飛躍していく手掛かりがなかなか得られずにいました。
そんな鬱屈した日々を救ってくれたのがDeccaのカルショーでした。
今さら言うまでもないことですが、Deccaが社運をかけて取り組んだ「ニーベルングの指輪」の全曲録音にショルティが抜擢されからです。

ショルティが凄いと思うのは、この抜擢に際して、ベートーベンの交響曲も全曲録音させろとカルショーに迫ったことです。
普通ならば、ニーベルングの指輪に抜擢してもらっただけで満足するものです。しかし、ショルティはこの抜擢をさらなるチャンスと見て、カルショーに対してグイグイと要求を押しつけていくのです。

おそらく、カルショーにしてみれば、レーベル幹部の反対を押し切ってショルティを抜擢した以上は何があっても彼を切ることは出来なかったはずです。そして、ショルティもそのあたりの事情は十分に把握していたはずです。
そのあたり、えげつないと言えばえげつない話かも知れないのですが、それくらいの押しの強さがなければこの世界でのし上がっていくことは出来ないのです。
そして、その事はカラヤンもまた同様でした。

さらに言えば、ショルティは「ラインの黄金」でとてよい仕事をしました。
カルショーもまたその仕事ぶりを見て、ニーベルングの指輪の全曲録音に目処がつく思いをしたはずです。

しかし、ベートーベンの交響曲となると、レーベルとしてもカタログは既に飽和状態でした。そのカタログに今さらショルティによる新しい録音を追加する意味を見いだすのは難しい状態であり、さらに言えば、ウィーン・フィル自身もショルティの棒でベートーベンを録音することには乗り気ではありませんでした。

そこで、カルショーは折衷案をショルティに提案します。
まずは3番、5番、7番を録音して、その録音が商業的に成功すれば残りの作品も録音しようというものでした。

ショルティもまたそのあたりが落としどころと判断したのでしょう、取りあえずはその折衷案を受け容れて録音されたのが、この一連のベートーベン録音だったというわけです。
そう言えば、初期盤のジャケットも何とも言えず手抜き感が拭いきれません。(^^;

そして、おそらくはカルショーが予想していたように、その録音は商業的には成功をおさめることはなくて、おそらくは胸をなで下ろしたのではないかと思われます。
レーベルのプロデューサーがレコードが売れなくて胸をなで下ろすというのも不思議な話なのですが、逆から見ればそれほどまでにショルティには指輪の録音に集中してほしかったのであり、そのためにもウィーン・フィルとの間でいらぬ悶着を引き起こしたくなかったのでしょう。

さて、そのベートーベンの録音なのですが、世間的には芳しくない評価が一般的だったのですが、最近はその尖った表現を評価する向きもあるようです。
ただし、その尖った表現が5番では顕著だったのですが、その翌年に録音された「エロイカ」ではかなり後退したものになっています。いや、その一ヶ月後に録音された第7番でもその傾向ははっきりと表れています。

確かに第5番の冒頭などはかなり気合いの入った鋭角的な表現なのですが、それがウィーン・フィルとの間で軋みを生じているのは明らかです。そして、その軋みのなかでショルティの鋭角的表現が少しずつウィーン・フィルのなかに包摂されていくのです。
それは、ウィーン風の曲線的な表現があちこちで顔を出すことからも明らかです。

そして、その包摂された両者の関係は如実に表れてしまっているのが「エロイカ」だろうと思われるのです。

おそらく、この鋭角的な表現が頭の先から尻尾の先まで貫徹されていれば、おそらくレイホヴィッツのベートーベン録音に先立つ先駆的な録音になったかも知れません。
しかし、その様なベートーベンを録音するにはウィーン・フィルというのは相応しい相手ではなかったのでしょう。

そして、この一連の録音が商業的に成功しなかったのは、ショルティに攻撃的なまでの表現が受け容れられなかったのではなくて、それを貫くことが出来ずに、どこか折衷的な表現に留まってしまったからではないかと愚考する次第なのです。