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メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」 作品21&61 より(抜粋)

ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団 (S)ジェニファー・ヴィヴィアン 、マリオン・ロウ コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ・ハウス女声合唱団 1957年2月録音

  1. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [1.Overture Op. 21]
  2. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [2.Scherzo, Op. 61 No. 1]
  3. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [3.You Spotted Snakes, Op. 61 No. 3]Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [4.Intermezzo, Op. 61 No. 5]
  4. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [5.Nocturne, Op. 61 No. 7]
  5. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [6.Wedding March, Op. 61 No. 9]
  6. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [7.Dance Of The Clowns, Op. 61 No. 11]
  7. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream Op.21 & from Op.61 [8.Finale, Op. 61 No. 12]

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メンデルスゾーンの天才性が発露した作品

まず初めにどうでもいいことですが、この作品は長く「真夏の夜の夢」と訳されてきました。それは、シェークスピアの原題の「A Midsummer Night's Dream」の「Midsummer」を「真夏」と翻訳したためです。
しかし、これは明らかに誤訳で、この戯曲における「Midsummer」とは、「midsummer day(夏至)」を指し示していることは明らかです。この日は「夏のクリスマス」とも呼ばれる聖ヨハネ祭が祝われる日であり、それは同時に、キリスト教が広くヨーロッパを覆うようになる以前の太陽神の時代の祭事が色濃く反映している行事です。ですから、この聖ヨハネ祭の前夜には妖精や魔女,死霊や生霊などが乱舞すると信じられていました。シェークスピアの「A Midsummer Night's Dream」もこのような伝説を背景として成りたっている戯曲ですから、この「Midsummer」は明らかに「夏至」と解すべきです。
そのため、最近は「真夏の夜の夢」ではなくて、「夏の夜の夢」とされることが多くなってきました。
まあ、どうでもいいような話ですが・・・。

さらに、どうでもいいような話をもう一つすると、この作品は組曲「夏の夜の夢」として、序曲に続けて「スケルツォ」「間奏曲」「夜想曲」「結婚行進曲」が演奏されるのが一般的ですが、実はこの序曲と、それに続く4曲はもともとは別の作品です。

まず、序曲の方が先に作曲されました。これまた、元曲はピアノ連弾用の作品で、家族で演奏を楽しむために作曲されました。しかし、作品のできばえがあまりにもすばらしかったので、すぐにオーケストラ用に編曲され、今ではこの管弦楽用のバージョンが広く世間に流布しています。
これが、「夏の夜の夢 序曲 ホ長調 作品21」です。
驚くべきは、この時メンデルスゾーンはわずか17歳だったことです。
天才と言えばモーツァルトが持ち出されますが、彼の子ども時代の作品はやはり子どものものです。たとえば、交響曲の分野で大きな飛躍を示したK183とK201を作曲したのは、彼もまた1773年の17歳の時なのです。
しかし、楽器の音色を効果的に用いる(クラリネットを使ったロバのいななきが特に有名)独創性と、それらを緊密に結びつけて妖精の世界を描き出していく完成度の高さは、17歳のモーツァルトを上回っているかもしれません。
ただ、モーツァルトはその後、とんでもなく遠いところまで歩いていってしまいましたが・・・。

ついで、この序曲を聴いたプロイセンの王様(ヴィルヘルム4世)が、「これはすばらしい!!序曲だけではもったいないから続くも書いてみよ!」と言うことになって、およそ20年後に「劇付随音楽 夏の夜の夢 作品61」が作曲されます。
このヴィルヘルム4世は中世的な王権にあこがれていた時代錯誤の王様だったようですが、これはバイエルンのルートヴィヒ2世も同じで、こういう時代錯誤的な金持ちでもいないと芸術は栄えないようです。(^^;
ただし、ヴィルヘルム4世の方は「狂王」と呼ばれるほどの「器の大きさ」はなかったので、音楽史に名をとどめるのはこれくらいで終わったようです。

作品61とナンバリングされた劇付随音楽は以下の12曲でできていました。

1. スケルツォ
2. 情景(メロドラマ)と妖精の行進
3. 歌と合唱「舌先裂けたまだら蛇」(ソプラノ、メゾソプラノ独唱と女声合唱が加わる)
4. 情景(メロドラマ)
5. 間奏曲
6. 情景(メロドラマ)
7. 夜想曲
8. 情景(メロドラマ)
9. 結婚行進曲 - ハ長調、ロンド形式
10. 情景(メロドラマ)と葬送行進曲
11. ベルガマスク舞曲
12. 情景(メロドラマ)と終曲(ソプラノ、メゾソプラノ独唱と女声合唱が加わる)

ただし、先にも述べたように、現在では、作品21の序曲と、劇付随音楽から「スケルツォ」「間奏曲」「夜想曲」「結婚行進曲」の4曲がセレクトされて、組曲「夏の夜の夢」として演奏されることが一般的となっています。

「原典尊重」という美名の下に思考が停止してしてまうような音楽はマークの本姓からは遠いものであることに気づかされる


ペーター・マークという指揮者は「マエストロ」だったのでしょうか。

いや、今となってはもうその名前をすら知らない人も多いかも知れませんから、普通に考えれば「マエストロ」などと言う尊称が相応しいはずはありません。
自称「マエストロ」は放っておくとしても、私たちが「マエストロ」という尊称を奉るには、死して数十年の時が過ぎ去ってもその名前がまるで古くからの友人であるかのように語られる必要があります。

しかし、ごく一部の人にとっては忘れがたい存在であり、その一部の人にとってはその名前をいつまでも懐かしい友人であるかのように思い出される人もいます。
そして、その人自身が積極的に「マエストロ」としての立ち位置から身を引いてしまった事を知っているものにとっては、やはり「マエストロ」という尊称を奉りたくなるものです。

ペーター・マークとはまさにその様な指揮者でした。

知っている人にとっては繰り返しになるのですが、もう一度ペーター・マークの経歴を簡単に振り返っておきます。

マークは1947年に地方の歌劇場を振り出しに、1956年にはボン歌劇場のシェフへと着実に階段を上り、1964年にはウィーンに乗り込んでフォルクスオーパーの音楽監督に就任します。
ヨーロッパにおける叩き上げの指揮者としては典型的な出世コースです。

また、その間にはDeccaからレコーディングも行うようになり、まさに「70年代のスターの座」は約束されたも同然の順風満帆な音楽家人生を歩んでいたのです。

ところが、そんなマークが突然にドロップアウトしてしまうのです。
彼はウィーンを去り一時はメトでの活動も行っていたのですが、70年代以降は拠点をイタリアに移し、地方のオケや歌劇場を活動の主要な舞台としてしまうのです。

そして、これが大切なことなのですが、そう言う地方のオケを相手にして、とても素晴らしい演奏を行ったと言うことです。
特に忘れられないのが、パドヴァ・ヴェネト管弦楽団と録音したモーツァルトの後期交響曲集(第31~41番)でした。

あれは、原典尊重を錦の御旗にして、スッキリとした直線的な造形こそが最上と主張する時代に対してぶち込んだ大砲みたいなものでした。
そこでは、モーツァルトが本来持っていたであろう「我が儘」に、マークの「やりたい放題」を掛け合わせて、それをパドヴァ・ヴェネト管弦楽団という田舎のオケの必死さで因数分解したような演奏でした。
つまりは、最後の項がベルリン・フィルのようなエリートオケで因数分解したのでは、そのスマートさが足枷となって絶対に実現できない音楽だったのです。

それ以外にも、マドリッド交響楽団と録音したメンデルスゾーンの交響曲全集やフィルハーモニア・フンガリカと録音したシューベルトの交響曲全集なども面白い演奏でした。
さすがにモーツァルトほどの驚きはなかったにしても、それでも「楽譜に書いてあること」しか音に変換しない、思考停止の「原典尊重」演奏とは一線を画す優れものでした。

メジャーな表舞台から身を引いて消えていったのならばそれまでのこ存在ですが、逆にそう言う表舞台から身を引くことで実現できる音楽があることを示してくれたマークには、やはり「マエストロ」という尊称を奉りたいのです。
そして、マークのごく初期の頃に録音されたメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」を聞くと、「原典尊重」という美名の下に思考が停止してしてまうような音楽は彼の本姓からは遠いものであることに気づかされるのです。

最初の「序曲」の部分からして、既に1950年代にあっても時代遅れではないかと思われるような大仰な表情付けがあちこちで登場します。
さらに言えば、夏の夜に飛び交う妖精たちの羽音とファンタジーに包まれる幸せを味わうことが出来ます。
しつこく繰り返しますが、その様なファンタジーは「楽譜に書いてあること」だけを音に変換するだけでは現れてこないものなのです。

ただし、少し悔しく思うのは、そう言うマークの我が儘をロンドン響はしっかりと受け止めながらも、素晴らしい響きと透明感でそれをサポートしていることです。
夏の夜に飛び交う妖精たちのファンタジーを実現する上でロンドン響が果たしている役割は小さくありません。
そして、70年代以降、彼の活動の拠点となった地方のオケはマークの我が儘は許容したのですが、このロンドン響ほどの美しさと機能は持ち得なかったのです。