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ヨハン・シュトラウス2世:「こうもり」序曲
ルドルフ・ケンペ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年2月12日-22日録音をダウンロード
バカ騒ぎに隠された深刻なパラドックス
シュトラウスは晩年、相次ぐ身内の死によってすっかり創作意欲を失ってしまいます。そんなときに、オッフェンバックや妻ヘンリエッタのすすめでオペレッタを書き始めます。
自分自身が悲しみから立ち直るためだけではなく、皆も気軽に聴けてしかも底抜けに楽しいオペレッタを立て続けに作曲したのです。
現在ではこの「こうもり」だけが飛び抜けて有名です。
話のあらすじは以下の通りです。
【第1幕】
アイゼンシュタインは役人を侮辱した罪で今夜中に刑務所へ収監されることになっています。
召使いアデーレは舞踏会への招待状を受けるが休みが取れないと悩んでいます。
ロザリンデ(アイゼンシュタインの妻)は昔の恋人アルフレートとだんなが刑務所に入ったら会おうと約束をしています。
それぞれの思いが交錯する中へファルケ博士がやってきてアイゼンシュタインに舞踏会へ行こうと誘います。かわいい子が沢山集まると聞いたアイゼンシュタインは、舞踏会を楽しんでから刑務所に行こうとご機嫌になります。
ロザリンデは刑務所 に行くはずの夫が上機嫌なのを変に思うのですが、自分も恋人がやってくるのでアデーレに休みをやります。
アデーレは喜び勇んで舞踏会へ、そしてアイゼンシュタインも同じ舞踏会へ。
やがてアイゼンシュタインもアデーレもいなくなったところへロザリンデの恋人アルフレートがやってくるのですが、アイゼンシュタインを逮捕に来た刑務所長フランクに間違えられて連行されてしまいます。
実はフランクにも舞踏会への招待状が届いており、早く仕事を終わらせたかったためにその様な手違いが起こってしまったのです。
【第2幕】
オルロフスキー公爵の舞踏会ではファルケ博士がアイゼンシュタインに向かって「コウモリの復讐劇」という茶番劇を画策していました。ファルケはむかし アイゼンシュタインに恥をかかされ、今日はその復讐を狙っていたのです。
召使いアデーレは女優とほらを吹き、アイゼンシュタインはフランスの貴族ルナール公爵、刑務所長のフランクも同じくフランス貴族とほらを吹きます。
そこへ、捕らえられたアルフレートを釈放してもらうために刑務所長フランクを捜しに会場にやってきたロザリンデも、仮面に素顔を隠してハンガリーの伯爵夫人と称して登場します。
そして、その伯爵夫人の姿にのぼせあがったルナール公爵(アイゼンシュタイン)は自分の妻とも知らずに、おきまりの自慢の懐中時計を取り出して熱烈に彼女をくどき始めます。
ロザリンデはあきれつつもいい気分で夫の金時計を巻き上げます。
ファルケは「こうもり博士」の仇名をつけられたいきさつを話し、「こうもりの復讐」は明日わかると話を結びます。その話を聞いたオルロフスキーは「すばらしい、ブラボー!ファルケ君」と喜んで祝杯をあげます。
そんなこんなの大騒ぎの中で時計が朝の6時をうちます。
今夜中に刑務所に入らなければならなかったことをアイゼンシュタインは思いだし、大慌てで出ていき、刑務所長フランクも刑務所へ帰ります。
【第3幕】
そして刑務所。
泥酔状態のフランクにイーダとアデーレ姉妹は女優になりたいから、スポンサーになってくれとたのみます。
そんなフランクのところへ、アイゼンシュタインが出頭してきます。おかしい、先ほど彼は捕まえたはずと言われたアイゼンシュタインはアルフレートの姿を見て疑念をいだきます。
そこで、弁護士の服を借りて待ち受けていると、妻のロザリンデが駆け込んできて、アルフレートをなんとか釈放 してくれと、弁護士(アイゼンシュタイン)に頼み込みます。
さすがに平静を保てなくなったアイゼンシュタインは弁護士の服を脱ぎ、彼女の浮気を責め立てるが、彼女も先ほどの金時計を取り出して夫の浮気をやりこめます。
そこへファルケ博士がやってきてこれが「こうもりの復讐劇」とし、ロザリンデも「すべてはシャンペンのせい」と水に流します。
ついでに、アデーレもオルロフスキー公爵のパトロンで女優となり。すべてがハッピーエンドでめでたし、めでたしとなって幕はおります。
何とも馬鹿馬鹿しいどんちゃん騒ぎですが、実はこの裏にとんでもないパラドクスが隠されています。
このオペレッタでは全ての登場人物が仮面をかぶり自分を偽って登場します。
そんな中で唯一自分を偽っていないのが舞踏会の主であるオルロフスキー公爵であるように見えます。
6時の鐘が鳴り、朝の光の中にバカ騒ぎが溶けていきます。
オルロフスキーをのぞけば、その朝の光の中で全ての登場人物は仮面を剥がされて本当の自分に戻っていき、あとには味気ない「現実」だけが残るだけです。
その様に見えます。
しかし、実はその朝の光の中においても仮面を脱ぐことが許されなかった人物がいるのです。それが、唯一仮面をかぶっていないように見えたオルロフスキー公爵その人です。
このオペレッタの原点は、オルロフスキー公爵が同性愛者であるという視点です。
チャイコフスキーの例を持ち出すまでもなく、当時において同性愛者であるということが発覚することは身の破滅でした。
二日酔いの頭を抱えて刑務所でお互いの素性が分かってバカ騒ぎはハッピーエンドで終わる中で、一人オルロフスキーだけが物憂げな表情を浮かべているのです。
皆が仮面を脱ぎ捨てて本当の自分に戻っていく中で、彼だけはまたもやアデーレのパトロンとなって仮面をつけ続けるのです。
その様な視点を持ってこのオペレッタを見直すならば、ご陽気なだけのこのオペレッタに内包された深刻なパラドックスに気づかされるはずです。
ケンペはこのような小品をまとめたアルバムをたくさん録音しています。
SP盤の時代に交響曲を聞こうと思えば何回もレコード盤を交換する必要がありました。ベートーベンの運命ならば概ね5枚組になります。戦前の1930年代ならばSP盤は一枚あたり1円50銭から2円程度だったそうですから、10円近くの出費となります。
物価の比較というものは難しいのですが、現在の感覚で言えば概ね4万円~5万円程度になります。
つまりは、とんでもない贅沢品だったわけで、そうなると一枚で完結する小品はレコード会社にとっても貴重な売れ筋だったことは容易に想像がつきます。
そして、1950年代に入って長時間再生が可能となるLPが登場するのですが、そちらは一枚2300円という価格設定でスタートしました。
1950年の公務員の大卒初任給が約4200円でしたから、LPを2枚買えば全て吹っ飛んで足が出てしまいます。
戦争をまたいでも、相変わらずレコードというものは一般庶民にとってはなかなか手の届くような代物ではなかったのです。
ちなみに、SP盤も平行して発売されていたのですが、そちらの方は一枚170円でした。
LPは詰め込んでもSP10枚分(170円×10=1700円)だと考えると、コストパフォーマンス的にはLP盤はさらに贅沢な品物だったのです。
ちなみに、45回転のEP盤というものも登場するのですが、そちらは一枚300円でした。そして、クラシックなどはLP盤、ポップスはEP盤という棲み分けみたいなものが生まれるのですが、この価格設定を考えればそれもまた当然かなと思われます。
それでも、昭和30年の映画館のチケットが80円だったことを考えれば、EP盤の300円でも大変な贅沢だったはずです。
と言うことで、前振りが長くなったのですが、その様な録音媒体の変遷の中にあって、音楽家にとってもレコード会社にとっても「小品」の価値は下がらざるを得ませんでした。SP盤よりもさらに贅沢なLP盤の値打ちは、それ一枚に交響曲のような芸術的価値の高い音楽をおさめることが出来る事にあったからです。
しかしながら、欧米にはクリスマス商戦というものが存在します。そう言う時期に、多くの人の耳に馴染んだ小品をアルバムにまとめたレコードを発売すれば短期的にある程度の数が見込めます。
レコード会社には二つの種類があります。
多少のコストがかかっても芸術的に偉大な成果を実現した録音を完成させれば、短期的にはそのコストが回収できなくても、著作隣接権が消失するまでの50年間に結果として莫大な利益をもたらすのだと言うことを理解できる会社です。
もう一つは、その様な長期的視野を持つことが出来ずに、ひたすら目先の利益だけを追い求める会社です。
当然の事ながら、会社そのものがその様に二分するわけではなくて、同じ会社の中でもその二つの流れがせめぎ合うのです。
そして、後者の立場を取る人たちにとって、クリスマス前の時期になるとこのような小品集を録音したいという欲望を抑えることは難しかったようなのです。彼らは、出来る限り格安で録音を仕上げて、それをクリスマス前にバーゲン価格で放出するのです。
確かに、クラシック音楽ファンが自分で聞くために購入するのには躊躇いを覚えても、誰か大切な人へのプレゼントとして購入するには魅力的なアイテムです。
しかしながら、それらの録音を任される音楽家にとっては、それは自らのキャリアを築いていく上では何のプラスにもならない仕事でした。
カルショーは自分が録音を通してつき合ってきた音楽家のことを獰猛な野獣みたいだと述べていました。その獰猛さは金銭的野心だけでなくて音楽的な面においても遺憾なく発揮されたのでした。
しかし、ケンペと言う人にはその様なぎらついたところが全くなかったようなのです。
人間的には常に紳士であり穏やかな人柄だったらしいのですが、音楽的には保守的で、積極的に新しいことにチャレンジしていくタイプではなかったようです。そして、何かある旅に「引退したい」とぼやくのが口癖だったようです。
ですから、こういう小品集を依頼されても嫌な顔をすることもなく引き受けて、古き良き時代の劇場を思わせるような音楽で応えてくれたのです。
そう、そこにあるのは疑いもなく古き良きヨーロッパの姿でした。
そして、オーケストラに対しても一切の無理強いはしないで、それでも最後はおさまるべき所に治めるというカペルマイスターらしい腕を披露してくれていました。
この58年にリリースされた「Nights In Vienna」というアルバムには以下の作品が収録されています。
- スッペ:「ウィーンの朝・昼・晩」序曲
- リヒャルト・ホイベルガー:喜歌劇「オペラ舞踏会」 序曲
- ヨハン・シュトラウス2世:「こうもり」序曲
- レハール:ワルツ「金と銀」, Op.79
- ニコラウス・フォン・レズニチェク:歌劇「ドンナ・ディアナ」 序曲
この中で素晴らしいのはレハールのワルツ「金と銀」でしょう。
この作品はすでにバルビローリの指揮でアップしてあるのですが、このケンペの指揮で聞くと、これは世間で言われるような下らぬ通俗曲ではないことがはっきりと分かります。
それほどまでに、この演奏からは古きヨーロッパが匂い立ってきます。
それに何よりも、導入部が終わって弦楽器がワルツの旋律を歌い出せば、まさにこれぞウィーンフィル!!と言いたくなります。
<追記>
こう書いてから調べてみると、アップするのを忘れていることに気づきました。何たることだ!!m(_ _)mスマン
<追記終わり>
それと比べると、シュトラウスの「こうもり」序曲はそう言う「古さ」がマイナスにはたらいてしまっているかもしれません。すでに私たちはクライバーを筆頭とする、沸き立つシャンパンのような演奏でこの作品を聞くことになれてしまっています。
しかし、古い時代のオペレッタの劇場に身を置いてみれば、まさにこのようにして芝居の幕は開くのかもしれません。