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バルトーク:2つの肖像 Op.5,Sz.37

アンタル・ドラティ指揮 (Vn)エルウィン・ラモー フィルハーモニア・フンガリカ 1958年6月録音

  1. Bartok:Two Portraits, Op.5 Sz.37 [1.Idealis]
  2. Bartok:Two Portraits, Op.5 Sz.37 [2.Torz]



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愛する女性に対する複雑な真情を吐露した作品・・・だったのかもしれません

この作品には色々な因縁がつきまとっています。
まず、この作品は「二つの肖像」ではなくて、第1曲の「理想的なもの」だけが「肖像」というタイトルで発表されて初演も行われました。
この第1曲の「理想的なもの」はヴァイオリン独奏を含む、この頃のバルトークにしては珍しいほどに静けさと美しさに満ちた音楽であり、大きく盛り上がっても透明感を失わない音楽でした。

ところが、その後、何を思ったのか、「醜いもの」と題した第2曲を追加して「肖像」は「二つの肖像」になってしまうのです。
この第2曲の「醜いもの」はその頃のバルトークらしい毒気の多い響きだったので、あまりにも透明で美しすぎる「理想的なもの」との間でバランスをとったのかと思われたのでした。

ところが、バルトークが亡くなってから10年以上が経った1956年に一人の女流ヴァイオリニストがこの世を去り、彼女の遺品を整理している過程でバルトークから彼女におくられたヴァイオリン協奏曲の草稿が発見された事で事情がすっかり変わってしまいました。
何故ならば、そのヴァイオリン協奏曲の第1楽章が「二つの肖像」の「理想的なもの」とほぼ同一だったからです。

その女流ヴァイオリニストとはシュティフ・ガイエルなる女性であり、バルトークが一時激しい思いを寄せていた人物として知られています。
バルトークは彼女への思いを手紙の中で「これが貴方の示導動機です」と短い旋律を書き添えて、このヴァイオリン協奏曲を献呈していたのです。

残された記録によると、このヴァイオリン協奏曲は1907年に着手され、翌1908年に完成されていて、その草稿譜はガイエルに贈られているのです。
しかしながら、この二人の関係は1908年2月のガイエルからの別れの手紙で終止符を打ったのですから、彼女にしてもこのような作品を献呈されて困ってしまったのでしょう。その協奏曲の草稿譜の存在は誰にも知られることなくガイエルの手もとに埋もれてしまったのです。

しかしながら、バルトーク自身もその作品を完全に消し去るのは忍びないと思ったのでしょうか、1911年にこのヴァイオリン協奏曲の第1楽章を「肖像」という形で発表します。
おそらくは、そこで留めておくべきだったのでしょう。

ところが、バルトークは「肖像」という作品に「醜いもの」という第2曲を追加して「二つの肖像」として完成させてしまったのです。
それを知ったガイエルの心中は穏やかではなかったはずです。

何故ならば、この「醜いもの」はヴァイオリン協奏曲の第2楽章ではなくて、「14のバガテル」というピアノ曲の第13番と第14番を管弦楽曲に編曲した物をあてていたからです。
その第13番には「彼女は死んだ」、第14番には「踊る恋人」というタイトルがつけられていて、その響きはこの上もなくグロテスクで毒気に溢れたものになっていたのです。

それはどう見ても、「理想的なもの」ではガイエルと親しく過ごした日々が描かれ、「醜いもの」では自分を捨て去っていったガイエルがイメージされていることは明らかです。
それは「リベンジ・ポルノ」とまでは言わないものの、「子供っぽい意趣返し」と言われても仕方のない仕儀だったかもしれません。

しかし、それでもなお破棄することなく手元に大切に置いてくれたのは音楽家としての責務を自覚していたからでしょう。

バルトークというのは20世紀を代表するもっとも偉大な作曲家であることは間違いないのですが、こういう「天才」というのはどうにも困った面を多く持ち合わせているものです。
おそらく、ガイエルもその事はよく分かっていたからこそ、最後まで大切に手もとに保存しておいてくれたのでしょう。



透明感を失うことはないので、その「醜さ」は随分と緩和されている

ドラティの経歴を振り返ってみると、「フランツ・リスト音楽院でコダーイとヴェイネル・レオーに作曲を、バルトークにピアノを学ぶ。」となっています。
偉大な作曲家だったバルトークが「フランツ・リスト音楽院」では作曲ではなくてピアノを教えていたというのは意外な事実なのですが、その背景には「作曲は教えるものではないし、私には不可能です」という考えがあったことはよく知られています。

ですから、この二人の偉大な作曲家から様々な形で音楽の骨格となる部分を学ぶことができたのは、ドラティの出発点としてはこの上もない幸福だったのでしょう。

ドラティのバルトークを聞いていていつも感じるのは「響きの美しさ」です。
バルトークと言えば、確かに楽器を打楽器的に扱う「荒々しさ」があちこちに顔を出すのですが、基本的には透明感の高い硬質で澄み切った響きこそが真骨頂だと思います。ドラティの演奏で聞くと、その響きが見事に実現されていることに感心させられます。

ただし、そうなってみると、フリッツ・ライナージョージ・セルなどの凄い録音が存在しているので、どうしても影が薄くなります。そのあたりが辛いところなのですが、それでも「二つの肖像」のような作品だと対抗馬がないので幸いです。

ところが、同じマジャールの血を持つ指揮者でも、フリッチャイなどは随分と方向性の異なる録音を残しています。
バルトークの音楽には理知的な部分が骨格として存在しているのですが、それとは真逆の民族的な土臭さというか、野蛮さみたいなものも内包していました。フリッチャイはそう言う矛盾を含んだバルトークの音楽に寄り添って、バルトークの音楽が土臭くなればフリッチャイの音楽もためらうことなく土臭くなるのです。

しかし、セルやライナーなどはその様な整理しきれない部分もまた整理しきってしまうのです。
それはドラティも同じです。

そして、その背景に当時のアメリカを覆っていた「新即物主義」の影響があったのかとも思ったのですが、マジャールの血そのものとも言える「フィルハーモニア・フンガリカ」を指揮しても様子は変わりませんので、それはこの時代のドラティの基本的なスタンスとして染み込んでいたようです。

そのおかげで、と言えばおかしな言い方になるのですが、第2曲の「醜いもの」も透明感を失うことはないので、その「醜さ」には家畜の叫び声のような「醜さ」には陥っていません。
ただし、それはバルトークの意図と何処まで整合するのかは私には分かりません。

なお、ヴァイオリン独奏をつとめている「エルウィン・ラモー」なる人物については詳しいことは分かりませんでした。

この「理想的なもの」がヴァイオリン協奏曲の第1楽章と知ってしまえば、そのヴァイオリン独奏は控えめに過ぎるように思うのですが、ヴァイオリン独奏付きの管弦楽曲と思えば丁度ほどがよいのかもしれません。
そう思えば、「エルウィン・ラモー」は「フィルハーモニア・フンガリカ」のコン・マスだったのかもしれません。