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チャイコフスキー:憂鬱なセレナード Op.26

(Vn)レオニード・コーガン キリル・コンドラシン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1959年録音

  1. Tchaikovsky:Serenade melancolique in B flat minor, Op.26



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恋人の窓の下で歌う「愛の歌」

ヴァイオリン協奏曲の定番と言えば、ベートーベン、ブラームス、メンデルスゾーン、そしてこのチャイコフスキーと言うことでそれほどおおきくな異論は出ないでしょう。
ところが、調べてみると、そのチャイコフスキーがヴァイオリンのために書いた作品は驚くほど少ないのです。ヴァイオリン協奏曲以外ではこの「憂鬱なセレナード」と「ワルツ・スケルツォ」、そしてピアノとヴァイオリンのための「なつかしい土地の思い出」だけなのです。

確かに、彼はピアノの名手でもあったのですから、その音楽的発想はピアノによって為されたことは間違いありません。
しかし、彼のまわりにはアウアーを筆頭に優れたヴァイオリニストが数多くいたのですから、わずか4曲というのはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。

そう考えれば、この演奏時間が10分にも満たない小品ではあるのですが、ヴァイオリンと管弦楽のために書かれた「憂鬱なセレナード」は貴重な作品と言わざるを得ません。

そして、この作品はヴァイオリンの歌うという特徴を最大限に発揮した音楽になっています。
「セレナード」というのは本来は恋人の窓の下で歌う「愛の歌」なのですが、ここでは人間の声に代わってヴァイオリンがその役割を果たしているのです。


「秘すれば花」という言葉のもっとも素晴らしい実例がここにある

「ヴァイオリンの鬼神」と言えば一般的にはパガニーニに奉られた言葉なのですが、このコーガンにもその言葉は良く呈されました。または「魔神と契約したヴァイオリニスト」などとも言われました。
そう言われる背景には、彼がとんでもない早熟の天才だったこと、さらにその早熟が早熟で終わることなく、完璧なイントネーションとボーイング・テクニックによって、ロシア=アウアー楽派の頂点を極めたことによるものでした。

確かに、パガニーニの奇想曲全24曲を一夜で演奏するなどという演奏会は今も一つの伝説であり、そんな事は魔神とでも契約しなければ不可能なことだと誰もが思ったはずです。そして、その驚くべきテクニックに裏打ちされることで、ベートーベンやブラームス、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ラロ、パガニーニなどの協奏曲を驚くべき集中力と安定感を持ってねじ伏せていったのでした。
その凄みは、ある面ではハイフェッツをも凌いでいたかもしれません。

しかし、こういう小品の録音を聞いていると、コーガンのもう一つの顔が見てくるような気がします。
そして、こういう小品の方がコーガンの素顔がのぞいているような気がするのです。

そう言えば、ハイフェッツも協奏曲のような大曲よりも、小品を取り上げたときの方が魅力的でした。
しかし、コーガンと較べれば、小品と向き合うスタンスには大きな違いがあることに気づかされます。

誤解を恐れずに言い切れば、ハイフェッツの持ち味はまずはエンターテイメントでした。そして、そのエンターテイナーとしての資質は堅苦しい大曲よりは小品の方が向いていたのです。
それに対して、コーガンの場合は、彼が本来持っていたであろう繊細で清潔な心情のようなものが、こういう小品を向き合ったときには素直に吐露できているように思えるのです。

コーガンという人はオイストラフのように、滴るような美音で歌い回すというタイプではありません。しかし、オイストラフの「美音」が時には「微温」になるような世界とは一番遠いところにいました。
何よりも驚かされるのは、「美音」ではないけれども実に多彩な音色を持っていたことです。そして、その多彩な音色を駆使して、この上もなく繊細に旋律のラインを描き分けていくのです。

その特徴はピアノの部分ではより際だちます。

そして、その清潔にして楚々とした佇まいの中から、時々ゾクッとするような艶めかしい官能の影がよぎるのです。しかし、それもまた一瞬のことであって再び楚々とした佇まいに戻るのですが、その一瞬の妖しさがもたらす効果は絶大です。
まさに「秘すれば花」という言葉のもっとも素晴らしい実例がここにはあります。

コーガンと言えば、その圧倒的なテクニックでバリバリとヴァイオリンを弾き倒した人だと思っている人には是非とも聞いてほしい録音です。