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ボロディン:ダッタン人の行進~歌劇「イーゴリ公」より
フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1958年12月28日~29日録音をダウンロード
日本の大名行列を描いたものをもとにこの音楽をイメージしたそうです
10年ほど前の話になるのですが、何人もの方から、「ダッタン人の踊り」をアップしないのかとプッシュされました。
私の感覚としてはボロディンのこの作品はどちらかと言えば辺境のマイナー曲というイメージがあったので、なぜにこんなにもたくさんリクエストが来るんだ?と不思議に感じたものでした。
しかし、調べてみるとコマーシャルなんかにもよく使われているみたいで(JR東海の「うまし うるわし 奈良」)、さらにあの有名なメロディをカバーしたポップス曲なんかも出ていたのでした。
ですから、クラシック音楽に興味は無くても、あのメロディは知っているという人が意外と多いようで少しばかり驚いたものでした。
ご存知のように、この作品は、ボロディンがその生涯をかけて作曲に勤しんだ歌劇「イーゴリ公」の中の1曲です。残念ながら、本職が「化学者」で、趣味として作曲活動を続けていたボロディンはリムスキー・コルサコフの助力を得ながらも、最終的には自らの手でその作品を完成させることは出来ませんでした。
よく知られているように、未完成のまま放置されたロシア五人組の作品を丹念に仕上げていったのはリムスキー・コルサコフだったのですが、この「イーゴリ公」もリムスキー・コルサコフによって仕上げられて、1890年11月4日、サンクト・ペテルブルクのマリンスキー劇場で初演が行われました。
「ダッタン人の踊り」はこのオペラの中の第2幕に登場するのですが、その分かりやすく異国情緒に満ちた音楽は単独で取り上げられるようになり、今では本体の歌劇よりもポピュラリティを得ています。
そして、「ダッタン人の行進」は第3幕の冒頭に流れる音楽で、オペラではこの音楽で幕が上がります。
多くのロシア人の捕虜を連れて凱旋してくる場面であり、伝えられる話によると、ボロディンは日本の大名行列を描いたものをもとにこの音楽をイメージしたそうです。
なお、「ダッタン人」という表記は、原題が「ポロヴェツ人」になっているため、明らかに翻訳ミスによるものと思われます。一時は、ともに中央アジアで活躍する遊牧民族なので似たようなものだろう、と言われていましたが、今では明らかにミスだとされています。
それから、大阪人である私などは、「ダッタン人」という言葉を見ると、大阪の詩人、安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」という一行詩を思い出してしまいます。
もちろん、両者の間には何の関係もありませんが・・・。
一糸乱れぬアンサンブルと強靱なオケの響きは、「鶏頭を裂くに牛刀を用いん」の風情があるかもしれません
こういう録音を聞くとライナーというのは不思議な指揮者だったと思ってしまいます。ライナーと言えば「強面」の指揮者でした。
それはオーケストラのプレーヤーに対してだけでなく録音スタッフに対しても同様でした。
「君と仕事をするのは始めてだ。このホールで指揮をするのも初めてだ。最初のテイクのバランスが完璧でなかったら、私は帰らせてもらうよ。」
これがDeccaの音楽プロデューサーだったジョン・カルショーがライナーと始めて出会ったときに交わされた言葉だったそうです。
それは、全てのことに関して完璧を求め、どれほど些細なことであっても手抜きは許さないという強い姿勢を示したものでした。
その様な指揮者が、おそらくはレーベルからの強い要請だとは思うのですが、「Festival Of Russian Music」というタイトルの、それこそ玩具箱をぶちまけたようなアルバムを作っているのです。
クラシック音楽の録音というものは、レーベルにとっては「短期的」には大きな収益を見込むことが難しいものです。しかし、流行の波間に消え去っていくポップス・ミュージックと違って、優れた録音であれば著作隣接権が消滅するまでの長きにわたって一定の収益をもたらし続けます。
つまりは、「長期的」に見ればレーベルに大きな利益をもたらすのです。
しかしながら、多くの経営者がその様な「長期的な視野」を持っているわけではないので、短期的にある程度の利益を上げることを現場は要求される事があります。そう言う「困ったとき」によく使われる企画が「Festival Of Russian Music」のようなアルバムだったのです。
- チャイコフスキー:小行進曲[組曲第1番ニ短調 Op.43より]
- ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」(R=コルサコフ編)
- ボロディン:ダッタン人の行進[歌劇「イーゴリ公」より]
- チャイコフスキー:スラヴ行進曲Op.31
- カバレフスキー:歌劇「コラ・ブレニョン」
- グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
こういうアルバムは長期的に売れ続ける事はないのですが、クリスマス商戦の前などにリリースをすればある程度の売り上げは期待できたからです。
しかしながら、ライナーのような大物指揮者にとってはどう考えても有り難い企画ではないのですが、レーベルからすればライナーのような大物がその様なアルバムを手がけるからこそ話題になるのです。
そこで、現場レベルにしてみれば「無理なお願い」となるのですが、結局はそう言う無理を聞いてしまうところがライナーという人なのです。
そのあたりが、同じ「笑わん殿下」でも、セルとは異なるところでしょうか。
セルの場合はどれほど譲歩しても、ワーグナーの管弦楽曲集かベートーベンの序曲集あたりが限界だったようです。・・・と思って調べてみたら「Szell Conducts Russian Music(1958年リリース)」なんて言うアルバムがありました。(^^;
そうしてみると、外見は恐くても、意外と現場の苦境に対しては二人ともに協力的だったのかもしれません。
ただし、そうやって引き受けた仕事であっても一切の手抜きがないのは当然と言えば当然、さすがと言えばさすがと言うべきでしょう。
まさに一糸乱れぬアンサンブルと強靱なオケの響きは、「鶏頭を裂くに牛刀を用いん」の風情かもしれませんが、それがライナーという人の本質なのです。
ですから、やるからには徹底的にやってやろうという姿勢は明らかで、音楽が盛り上がっていく場面では一気にテンポもあげていってシカゴ響の持てる力を存分に発揮させています。もともとが早めのテンポでオケを煽っているのですから、けっこう凄いことになっていくのです。
しかしながら、最後につまらぬ妄想を言わせてもらえば、あのムラヴィンスキーの「ルスランとリュドミラ序曲」の様な演奏を知った上でライナーが録音をしていればどれほど凄まじいことになっただろうという思いはします。
時間系列で言えばそう言うことはあり得ないのですが、それでもそう言う演奏が可能だと言うことを知っていれば、おそらくは、負けてなるものかとさらに凄いことになったのではないかと妄想するのです。
そして、このコンビならば、それは決して不可能ではなかったと思うのです。