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モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」


ゲオルク・ショルティ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 1958年5月録音をダウンロード

  1. Mozart:Serenade In G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik" [1. Allegro]
  2. Mozart:Serenade In G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik" [2. Romance (Andante)]
  3. Mozart:Serenade In G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik" [3. Menuetto (Allegretto)]
  4. Mozart:Serenade In G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik" [4. Rondo (Allegro)]

この作品は驚くほど簡潔でありながら、一つの完結した世界を連想させるものがあります。



「音符一つ変えただけで音楽は損なわれる」とサリエリが感嘆したモーツァルトの天才をこれほど分かりやすく提示してくれる作品は他には思い当たりません。

おそらくはモーツァルトの全作品の中では最も有名な音楽の一つであり、そして、愛らしく可愛いモーツァルトを連想させるのに最も適した作品です。
ところが、それほどまでの有名作品でありながら、作曲に至る動機を知ることができないという不思議さも持っています。

モーツァルトはプロの作曲家ですから、創作には何らかのきっかけが存在します。
それが誰かからの注文であり、お金になる仕事ならモーツァルトにとっては一番素晴らしい動機だったでしょう。あるいは、予約演奏会に向けての作品づくりであったり、出来のよくない弟子たちのピアノレッスンのための音楽作りであったりしました。
まあ早い話が、お金にならないような音楽づくりはしなかったのです。

にもかかわらず、有名なこの作品の創作の動機が今もって判然としないのです。誰かから注文があった気配はありませんし、演奏会などの目的も考えられません。何よりも、この作品が演奏されたのかどうかもはっきりとは分からないのです。
そして、もう一つの大きな謎は、そもそもこの作品はどのようなスタイルで演奏されることを想定していたかがよく分からないのです。具体的に言えば、1声部1奏者による5人の弦の独奏者で演奏されるべきなのか、それとも弦楽合奏で演奏されるべきなのかと言うことです。

今日では、この作品は弦楽合奏で演奏されるのが一般的なのですが、それは、そのスタイルを採用したときチェロとコントラバスに割り振られたバス声部が素晴らしく美しく響くからです。しかし、昨今流行の「歴史的根拠」に照らし合わせれば、どちらかといえば1声部1奏者の方がしっくりくるのです。

さらに、ついでながら付け加えれば、モーツァルトの「全自作目録」には「アイネ・クライネ・ナハトムジーク。アレグロ、メヌエットとトリオ、ロマンツェ、メヌエットとトリオ、フィナーレから構成される」と記されていて、この作品の原型はもう一つのメヌエット楽章を含む5楽章構成だったのです。そして、その失われたメヌエット楽章は他の作品に転用された形跡も見いだせないので、それは完全に失われてしまっているのです。
ただし、その失われた事による4楽章構成が、この簡潔なセレナードをまるで小ぶりの交響曲であるかのような雰囲気にかえてしまっているのです。
ですから、それは「失われた」のではなくて、モーツァルト自身が後に意図的に取り除いた可能性も指摘されるのです。

そんなわけで、自分のために音楽を作るということはちょっと考えづらいモーツァルトなのですが、もしかしたら、この作品だけは自分自身のために作曲したのかもしれないのです。
もしそうだとすると、これは実に貴重な作品だといえます。そして、そう思わせるだけの素晴らしさを持った作品でもあります。
ただし、それはどう考えても「あり得ない」妄想なので、おそらくは今となっては忘れられてしまった。そして記されなかった何らかの理由があったのでしょう。つまりは、それほどまでにモーツァルトは「プロの作曲家」だったのです。

弦楽器を主力に演奏できる作品を選択した賢さ

いろいろとあったイスラエルフィルとの初録音だったのですが、「Decca」はその翌年からも録音を継続します。その背景には経営陣の一人であるローゼンガルテンの強い意向が働いていたことは言うまでもありません。そして、ショルティもまたこの1958年の録音に駆り出されるのです。
ショルティの人生を変えたのは1958年9月に行われた「ラインの黄金」の録音でした。そのレコードは想像もしなかったような売れ行きを見せて「Decca」にとっても多大な利益をもたらしたからです。ただし、その記録的な売り上げは何らかの僥倖に恵まれたためであって、続けて「ワルキューレ」以降を録音しても上手くいかないだろうというのが経営陣の判断だったとカルショーは嘆いています。
とは言え、ショルティにとってはその成功によって「駆け出しの若手」という立場から「レーベルの屋台骨を支える指揮者」へと階段を駆け上がったことは事実でした。
ですから、この同じ年の5月に行われたイスラエルでの録音は、若手指揮者としての最後のしんどい仕事だったのかもしれません。

ただし、ショルティもカルショーも前年の経験は無駄にしていなかったようで、58年に計画された録音は以下の通りでした。


  1. メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90 「イタリア」

  2. シューベルト:交響曲 第5番 変ロ長調 D485

  3. モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」



なるほど、録音プログラムとはこのようにして決めるのものかという、見本のような選択です。
「Decca」というレーベルは録音のクオリティが売りでしたから、録音会場の選択に関しては非常にシビアでした。しかし、イスラエルに出向いて録音しなければいけないこのセッションでは、そう言う「Decca」の基準を満たすような会場は何処を差がしてもなかったのです。さらに言えば、イスラエルフィル自体もロンドンやウィーンのオケと較べれば問題の多いオーケストラでした。とりわけ問題だったのは金管の弱さでした。
ただし、弦楽器の素晴らしさは今も昔も変わらぬこのオケの美質でもありました。

ならばどうするか!
答えは簡単で、レーベルのカタログとの関係で録音する必要のあるプログラムの中から、出来る限り弦楽器主体で演奏できる作品を選べばいいのです。
メンデルスゾーンの「イタリア」ならばホルンとトランペットがそれぞれ2名必要ですが、表に出てくるのは第3楽章中間部のホルンくらいでしょうか。もっとも、表に出てこないからどうでもいいと言うことではないのですが、縁の下の力持ちくらいの仕事ならばやれるだろうということなのでしょう。
シューベルトの5番ならば金管はホルンの2名あれば足りますし、モーツァルト場合は弦楽合奏だけで事が足ります。
つまりは、イスラエルフィルが持っている問題点が出来る限り顕在化しないように、そしてイスラエルフィルが持っている美質が最大限に引き出せるような演目を選んでいるのです。
実にクレバーです!!

そして、カルショーはこのイスラエルフィルとの数年にわたる共同作業は結果として大きな成果をもたらすことはなかったと総括しているのですが、いやいやどうして、ここでのメンデルスゾーンやシューベルトは決して悪い演奏とは思えません。
とりわけ、第2楽章の「Andante con moto」(メンデルスゾーンもシューベルもともに第2楽章は「Andante con moto」だ!!)からは、青々と広がる草原を吹き渡っていく爽やかな風を思い出させてくれます。確かに、これこそはただの「Andante」ではなくて「Andante con moto」です。
ショルティと言えば、「イタリア」の第1楽章「Allegro vivace」のようにグイグイと強引に引っ張っていくイメージがあります。それがさらに「Piu animato poco a poco」というように煽り立てていくことが要求されればその強面の姿はさらにあからさまになっていきます。
しかし、そう言う姿と同時にこのように爽やかに清潔感の溢れる歌を紡いでいくのもショルティのもう一つの得意技でもあるようなのです。

ただし、モーツァルトにおいてもそれらと同じようなアプローチで迫っているのですが、個人的にはあまり上手く言っていないような気はします。おそらく、メンデルスゾーンやシューベルトというのは純粋器楽の世界であり、それ故に一音も蔑ろにすることなく精緻に構成していけば自ずからその姿が明らかになっていくのでしょうが、モーツァルトというのはどうもそう言うやり方だけでは取りこぼしてしまう部分があるようなのです。
そして、そう言う辺りに、トスカニーニからセルやライナーにつながっていく系譜にショルティをおいたときに、なんだか上手くつながらないなと思ってしまう要因があるのかもしれません。

意外と思う人もいるかもしれませんが、セルの音楽を長年にわたって聞き続けてきた身からすれば、彼の音楽の根っこには世紀末ウィーンの匂いがしみついています。つまりは、セルというのは外面的にはニコリともしない「笑わん殿下」のような姿を見せながら、その内実はとんでもないロンティストなのです。
ただし、そのロマン主義はともすれば荒れ狂う牛の角のようなもので、それを自由にさせれば音楽を傷つけてしまうことを知っていたのです。ですから、セルという男は常にザッハリヒカイトという綱を己に括りつけて音楽を傷つけないように律し続けたのです。
ただし、セルにしてもライナーにしても賢いなと思うのは、そうやって律し続けても、決して角を矯めて牛を殺すような愚かなことにはしなかったことです。彼らは、荒れ狂う角の暴力を最後まで体の奥に抱え込んでいたのです。
それと比べると、オケを強引にドライブしていくショルティからは「荒れ狂う角の暴力」は感じられないのです。
誰かが、ショルティの演奏を評して「感心はするけれども感動はしない」と言っていたのは、そう言う荒れ狂う角の暴力がそこには存在しないからかもしれません。

もしかしたら、ショルティの内面にあったのはロン万主義ではなくて、実用主義だったのかもしれません。彼にとってのザッハリヒカイトとは、オケの響きとバランスを整えて一定以上のレベルを実現するためにもっとも効率的で有用なイデオロギーだったのかもしれません。
もっとも、その辺りはもう少しよく考えてみる必要があるのですが、それでも実用主義が強く要求するのが「行動」であることを考えれば、ショルティがその晩年までこの上もなくアクティブだったことの理由も見えてくるような気がします。