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クープラン:コンセール小品集


(Cello)ピエール・フルニエ:ルドルフ・バウムガルトナー指揮 ルツェルン音楽祭弦楽合奏団 1963年12月20日~21日録音をダウンロード

  1. Couperin:Pieces En Concert for Cello and Strings Ensemble [1.Prelude]
  2. Couperin:Pieces En Concert for Cello and Strings Ensemble [2.Sicilienne]
  3. Couperin:Pieces En Concert for Cello and Strings Ensemble [3.La Tromba]
  4. Couperin:Pieces En Concert for Cello and Strings Ensemble [4.Plainte]
  5. Couperin:Pieces En Concert for Cello and Strings Ensemble [5.Air De Diable]

  6. ポール・バズレールによってチョロ協奏曲風に編曲されたもの



    クープラン一族は、ドイツのバッハ一族ほどではないにしても、多くの著名な音楽家を輩出しています。そんな一族の中でもっとも有名なのがこの「フランソワ・クープラン」であり、同姓同名の叔父と区別するために「大クープラン」と呼ばれることもあります。
    ただし、バッハと言えば「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」であるのと同様に、クープランと言えば一般的には「フランソワ・クープラン」のことになります。

    クープランと言えばまずは4巻からなる「クラヴサン曲集」が有名です。
    しかし、それ以外に王宮礼拝堂のオルガニストに就任してからは、礼拝堂用の宗教音楽や、ルイ14世の為に演奏される合奏曲なども重要な仕事の一つとして加わるようになります。

    ルイ14世のもとで活躍した音楽家と言えばリュリを思い出すのですが、彼が指揮杖で足を突くという不慮の事故でなくなるのが1687年で、クープランが宮廷オルガニストとして採用されるのが1693年ですから、この両者は宮廷の中では顔を合わせなかったことになります。
    しかしながら、リュリが主に劇場用の作品で多くの仕事を為したのとは対照的に、クープランはそれ以外の分野で多くの作品を残したのです。実際、彼は一つのオペラも残さず、その代わりに肖像画のようなとも、風俗画のようなとも言われる数多くのクラブサン曲と、礼拝堂用の小さなモテット、可憐な世俗的な歌曲、そして御前演奏用の室内楽作品というのが彼のメインのレパートリーだったのです。

    ここで紹介している「コンセール小品集」はポール・バズレールによってチョロ協奏曲風に編曲されたものです。ポール・バズレールはこれ以外にもダンディとの共同作業でヴィヴァルディのチェロ・ソナタを協奏曲に偏狭していたのですが、それと同じような仕様です。
    ですから、それはバロック音楽と言うよりは何処かロマン派小品様な佇まいを見せるのはその様な理由によります。

    ちなみに、各曲の原曲は以下の通りだそうです。

    クープラン:コンセール小品集(ポール・バズレール編曲)


    1. 第1曲:プレリュード(新しい王宮のコンセール 第6番 から)

    2. 第2曲:シシリエンヌ(新しい王宮のコンセール 第2番 から)

    3. 第3曲:ラッパ(新しい王宮のコンセール 第6番 から)

    4. 第4曲:嘆き(新しい王宮のコンセール 第6番 から)

    5. 第5曲:悪魔のエール(新しい王宮のコンセール 第2番 から)



    ピリオド演奏による騒々しい演奏と較べると別の星の住人のようです

    フルニエに関しては今さら何も付け加える必要はないでしょう。ひたすら騒々しくなっていったピリオド演奏によるチェロの演奏と較べてみれば、その落ち着きと気品のある歌い回しは別の星の住人のように感じます。
    そして、やはりチェロはこうでなくっちゃ!!と思ってしまうのです。
    ですから、ここではお恥ずかしい思い出もまじえて、伴奏を務めている「ルドルフ・バウムガルトナー」について簡単にふれておきます。

    実は、何がお恥ずかしい思い出なのかと言えば、「バウムガルトナー」とよく似た名前でもう一人「パウムガルトナー」という指揮者がいるのを、すっかり混同してしまったことがあるのです。そして、このサイトの中でも、未だに混同したまま放置されているページがあるのではないかと、いささか冷や汗ものなのです。(^^;
    「バウムガルトナー」と「パウムガルトナー」、違いが分かりますか?「バ」と「パ」の違いです。パソコン画面で見るとほとんど区別がつきません。

    ここでフルニエの伴奏を務めているのは「ルドルフ・バウムガルトナー」の方で、シュナイダーハンとともにルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設して活躍した指揮者でした。
    それに対して、「パウムガルトナー」の方はフルネームが「ベルンハルト・パウムガルトナー」で、こちらはザルツブルグを拠点として活躍した指揮者でした。

    さらに言えば、この両者はよく似た経歴を持っていて、「バウムガルトナー」の方は「ルツェルン音楽院院」の院長を長く務めたのに対して、「パウムガルトナー」の方はザルツブルグの「モーツァルテウム音楽院」の院長を長く務めたのでした。
    そして、「バウムガルトナー」が長く「ルツェルン音楽祭の音楽監督」を務めたのに対して、「パウムガルトナー」の方は「ザルツブルク音楽祭の総裁」を長く務めたのでした。

    つまりは、ザルツブルグとルツェルンという、オーストリアの夏を彩る音楽祭が行われる二つの都市に分かれて、その音楽祭を代表する音楽家としてよく似たような活動を行っていたのです。そして、その人物の名前が、ルツェルンの方が「バウムガルトナー」であり、ザルツブルグの方が「パウムガルトナー」だったわけです。
    とは言え、この二人を混同してしまうとはお恥ずかしい話でした。

    なお、「パウムガルトナー」が「モーツァルテウム音楽院」の院長を務めていた時期の学生にカラヤンがいたので、彼の弟子の中でもっとも有名な存在がカラヤンだという言葉をよく見かけます。
    ただし、カラヤンは「パウムガルトナー」のことを師だとは思っていなかったようなので、その言い方にはいささか問題があるかも知れません。