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ドヴォルザーク:序曲「自然の王国で」 Op.91
カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1961年11月17日録音をダウンロード
アメリカに渡る直前に書かれた一つの「まとめ」のような作品
ドヴォルザークは51才の時アメリカに渡るのですが、その直前に、一つの「まとめ」のような形で書かれたのが序曲3部作「自然と人生と愛」でした。
ドヴォルザークは、当初はこの3作品をひとまとまりのものとして「作品91」とする予定でした。ドヴォルザークの構想では演奏会用序曲三部作「自然と人生と愛」作品91として、第1部「自然」、第2部「人生(謝肉祭)」、第3部「愛(オセロ)」となるはずでした。
しかし、出版に際しては「自然の王国で」が作品91、「謝肉祭」は作品92、「オセロ」が作品93という形で落ちついたようです。
邪推ですが、版元としてはその様にバラした方が商売上有利だと判断したことは間違いないでしょう。
しかしながら、これらの作品は3部作として構想されたからと言って、3作品を連続して演奏されるスタイルはドヴォルザーク自身も考えてはいなかったようです。
それよりは「自然」「人生」「愛」というドヴォルザーク自身の人生哲学を反映させようとしたが為に「三部作」としたのであって、必ずしも3作品で一つの総体を形成するものとは考えてはいなかったようです。
例えば第3部となる予定だった「愛(オセロ)」は結果として序曲「オセロ」となっているのですが、それはシェークスピアの「オセロ」を音楽化したものではなくて、オセロの中で描かれている「嫉妬」を愛の一側面としてとらえたドヴォルザークの哲学に由来するものでした。
そのあたりは、「自然の王国で」や「謝肉祭」でも同様で、それらのタイトルはリストの交響詩のようにそれらを直接描こうとしたのではなくて、もっと緩やかにドヴォルザークの人生哲学の中にある「自然」や「人生」をイメージしたものだったようです。
序曲「自然の王国で」 Op.91
この作品は、最初は「孤独のなかで」とか「叙情的序曲、あるいは自然のなかで、あるいは夏の夜」などと言う詳しいタイトルをつけようとしたこともあったようですが、最終的には「自然の王国」で落ちつきました。
短い序奏の後にファゴットとヴィオラが第1主題を演奏するのですが、それはドヴォルザークのイメージする「自然」の姿であり、その主題は3部作全体を通して重要な役割をはたしています。
そこでは、豊かな自然に囲まれて上機嫌なドヴォルザークの姿が刻み込まれていて、最後は夏の夜を思わせるような静かさの中で音楽は閉じられます。
深いところでチェコの地に根をはりめぐらせていたのかもしれない
ふと気がつくと、ドヴォルザークの「序曲」をほとんどアップしていないことに気づきました。すでに何度かふれたことなのですが、名前はとても有名なのに、聞かれる機会のある作品がとても少ないという作曲家がいます。もっとも、その作曲家が「寡作」であるならばそれも仕方のないことなのですが、それこそ多くのジャンルで優れた作品を数多く残しているのならば、それは何とも勿体ない話と言うことになります。
そして、このドヴォルザークなどもそう言う「勿体ない」存在の典型かもしれないのです。
ドヴォルザークは多くの交響曲を残しているのですが、聞かれる機会が多いのは「新世界より」くらいのものですし、管弦楽曲と言えば「スラブ舞曲」だけが飛び抜けて有名です。
もちろん、それ以外にも交響曲で言えば8番と7番、管弦楽曲で言えば「弦楽セレナーデ」あたりがそれなりのポピュラリティを維持していますが、それ以外となると一気に知名度は落ちます。
しかし、ドヴォルザークがアメリカに移り住む前、概ね40代の頃に書かれた、「序曲」とタイトルのついた一連の管弦楽作品はまさに創作の脂ののりきった時期の作品であり、音楽的な充実度という点では非常に優れたものがあります。
ただし、それらの作品にはアメリカ時代のペタントニックを多用したことからくる分かりやすさやとは無縁ですし、ボヘミヤの民族色が色濃く溢れているわけではありません。しかし、この時代のドヴォルザークらしいしっかりとした構成とオーケストレーション、そして何よりもメロディーメーカーとしてのドヴォルザークの特長が発揮された佳作ばかりです。
しかし、演奏会で取り上げられることはそれほど多くはありませんし、録音の数もそれほど多くはありません。
ある意味、そう言う隠れた「佳作」を今まで一つも取り上げてこなかったのはやはり大きな欠落と言わざるを得ません。
と言うことで、そう言う「佳作」を誰の演奏で取り上げるべきかと思案すれば、真っ先に思い浮かんだのがこのアンチェル&チェコフィルの録音です。
もちろん、それは本場のお国物だ等という安易な理由ではありません。そうではなくて、それとは真逆の、これらの作品の持っているしっかりとした構成とバランス良く鳴り響くオーケストラの姿が見事に表現されているからであり、さらに言えばそう言う手堅さと同時にしなやかに歌うドヴォルザークの美質も見事にとらえられているからです。
この一連の「序曲」は1961年から1962年にかけて録音されているのですが、ある意味ではこのコンビによるもっとも幸福な時期の録音だったのかもしれません。
そう言えば、アンチェルは1968年に起きた「プラハの春」への弾圧をきっかけに亡命をして、カナダのトロント交響楽団で常任指揮者をつとめるのですが、それほど目立った仕事をすることなくこの世を去ってしまいました。
アンチェルと言えば「民族色」などというものからは距離を置いていたように見えたのですが、深いところでチェコの地に根をはりめぐらせていたのかもしれません。そして、その根っこから引き抜かれ事によって、何か大切な物を失ってしまったのかもしれません。
<追記>
ただし、この異様なジャケットのデザインだけは意味不明です。何か意味があるのでしょうかね・・・。(^^;