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シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 「ライン」 作品97


ルネ・レイボヴィッツ指揮 インターナショナル交響楽団 1960年録音をダウンロード

  1. Schumann:Symphony No.3 in E-flat, Op.97, "Rheinische" [1.Lebhaft]
  2. Schumann:Symphony No.3 in E-flat, Op.97, "Rheinische" [2.Scherzo]
  3. Schumann:Symphony No.3 in E-flat, Op.97, "Rheinische" [3.Nicht schnell]
  4. Schumann:Symphony No.3 in E-flat, Op.97, "Rheinische" [4.Feierlich]
  5. Schumann:Symphony No.3 in E-flat, Op.97, "Rheinische" [5.Lebhaft]

祝典的な雰囲気にあふれた作品です



番号は3番ですが、作曲されたのは4曲の交響曲の中では一番最後に作曲されました。

1850年にシューマンはデュッセルドルフ市の音楽監督に就任し、ドレスデンからライン河畔にあるデュッセルドルフに居を移します。これを契機に作曲されたのがこの第3番の交響曲であるために一般に「ライン交響曲」と呼ばれますが、これはシューマン自身が与えた標題ではありません。
ただ、この作品に漂う民族的な舞曲を思わせる雰囲気がライン地方の雰囲気を彷彿させるという話もあるので(私ははその「ライン地方の雰囲気」と言うのがどういうものなのかは分からないのですが・・・)、それほど的はずれの標題ではないようです。

どこか内へ内へ沈み込んでいくようなシューマンの交響曲の中で、この第3番のシンフォニーだけは華やかさをふりまいてくれます。とりわけ最終楽章に響くファンファーレは祝祭的な雰囲気を盛り上げてくれます。それから、この前に置かれている第4楽章は全体の構成から見てみると、「間奏曲」のようなポジションにあることは明らかですが、実際に聞いてみるとこの楽章が一番充実した音楽のように思えます。最後に弦のトレモロにのって第1主題が壮麗な姿で復帰してくるところなどはゾクゾクしてしまいます。

こういう形式はベートーベンが確立した交響曲のお約束からは外れていることは明らかです。ベートーベンの交響曲の継承者はブラームスと言うことになっていて、その間に位置するシューマンは谷間の花みたいな扱いを受けているのですが、こういう作品を聞いてみると、確かに方向性が違うことが納得されます。

この第1楽章は滅多にみることの出来ない「奇観」であることは間違いありません

このシューマンの「ライン」はかなり変な演奏です。それは第1楽章と、それ以降の楽章が全く雰囲気が異なっているからです。
まずは聞いてもらうしかないのですが、第1楽章ではやけに金管楽器が突出しています。「普通」の第3番「ライン」を聞きなれた耳からすれば、それはオケのバランスが完全に崩れているとしか思えません。ただし、それを持ってレイボヴィッツならではの尖った解釈とする向きもあるのですが、わたしにはその様な「好意的」な受け取り方は出来ません。

実は、オケの中で金管楽器が全体のバランスをぶちこわすように吹き鳴らすというのはアマチュアのオケではよくある光景です。わたしの知り合いにも何人かアマ・オケの運営に関わっている人がいるのですが、誰もが口を揃えて言うのは「優れた金管奏者」の確保が難しいと言うことです。
そして、何とか調達した金管奏者がものの見事に作品をぶちこわしていくという光景はよく目にしたものです。

おそらく、このへんてこな第1楽章は「インターナショナル交響楽団」という怪しげなオーケストラに原因があるのではないかと思われます。このオーケストラはどういう素性のオケなのかは分かりませんが、例えばリーダーズ・ダイジェストとの録音の中でよく登場する「ロンドン音楽祭管弦楽団」や「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団」とは随分異なるようです。
何故ならば、「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団」はその実態は明らかに「パリ音楽院管弦楽団」だと思われますし、「ロンドン音楽祭管弦楽団」も、具体的にどのオケかは不明ですが実際にロンドンで活動しているオケの変名であることは知られています。

それに対して「インターナショナル交響楽団」というのは、その様な実態を持ったオケの変名ではなくて、時々の録音のために臨時に寄せ集めるオケのようなのです。
ですから、そう言うオケの場合には、時にとんでもなく下手くそな奏者が混じってしまうことがあるのであって、その下手くそが集中するのが人材に乏しい金管奏者なのです。

おそらく、わたしの想像では第1楽章の録音が終わった時点でさすがのレイボヴィッツもぶち切れて金管奏者の変更を要求したのでしょう。その要求はもっともなものだと制作側も納得したのか、第2楽章以降ではなんとか使えそうな金管奏者を調達して乗り切ったのではないでしょうか。
ですから、もとからしてオケのバランスのとりにくいシューマンの交響曲7なのですが、第2楽章以降は実に真っ当な演奏に仕上がっているのです。

まあ、真実はどのあたりにあるのかはそれぞれの判断になるのでしょうが、この第1楽章は滅多にみることの出来ない「奇観」であることは間違いありません。