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シュトラウス:ウィンナーワルツ集(1960年録音)
フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1960年4月25日~26日録音をダウンロード
- Johann Strauss:Vienna Blood, Op. 354
- Johann Strauss:Roses From The South, Op. 388
- Johann Strauss:Treasure Waltz, Op. 418 (From "The Gypsy Baron")
- Johann Strauss:Thunder And Lightning Polka, Op. 324
社交の音楽から芸術作品へ
収録作品
- ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーン気質」Op.354
- ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「南国のバラ」Op.388
- ヨハン・シュトラウス2世:宝のワルツOp.418(喜歌劇「ジプシー男爵」より)
- ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「雷鳴と電光」Op.324
父は音楽家のヨハン・シュトラウスで、音楽家の厳しさを知る彼は、息子が音楽家になることを強く反対したことは有名なエピソードです。そして、そんなシュトラウスにこっそりと音楽の勉強が出来るように手助けをしたのが母のアンナだと言われています。後年、彼が作曲したアンネンポルカはそんな母に対する感謝と愛情の表れでした。
やがて、父も彼が音楽家となることを渋々認めるのですが、彼が1844年からは15人からなる自らの楽団を組織して好評を博するようになると父の楽団と競合するようになり再び不和となります。しかし、それも46年には和解し、さらに49年の父の死後は二つの楽団を合併させてヨーロッパ各地へ演奏活動を展開するようになる。
彼の膨大なワルツやポルカはその様な演奏活動の中で生み出されたものでした。そんな彼におくられた称号が「ワルツ王」です。
たんなる社交場の音楽にしかすぎなかったワルツを、素晴らしい表現力を兼ね備えた音楽へと成長させた功績は偉大なものがあります。
あらゆるウィンナーワルツの演奏はこの録音を前に知れば頭を垂れるしかない
かつて、ライナー&シカゴ響によるシュトラウスのワルツ集を取り上げたときに、かのシュヴァルツコップが無人島に持って行きたい一枚として選んだことについてふれました。確かに、悪い演奏とは思いませんでした。、同じテイストであるセル&クリーブランド管によるシュトラウスのワルツ集と較べてみれば大人の余裕みたいなものが感じ取れ、セルの演奏が士官学校の舞踏会みたいに聞こえたものでした。
ただし、個人的には「無人島に持って行きたい一枚としてこれを選びたいとは思いません」と述べました。
それは概ね以下のような文脈でした。
ドイツの音楽雑誌のインタビューに答えたものというところまでは分かったのですが、はたして彼女が真摯に考えた末にこの一枚を押したのか、それともあまりにも愚かな質問ゆえに洒落として答えたのかは分かりませんでした。
ですから、自分では満足に聞きもしないで、この一言だけを頼りに「ライナーのウィンナーワルツって凄いんだぞ!!」なんて吹聴している人がいるとすれば愚の極みです。
しかしながら、それは私の大きな勘違いでした。
シュヴァルツコップが無人島に持って行きたいと言ったのは57年に録音したものではなくて、この60年に録音した演奏の方でした。いやあ、全く持って勘違いとは言え、愚かと言わざるを得ません。
そして、この60年に録音されたライナーのワルツ集ならば、確かに無人島に持って行きたい一枚としての資格は十分に有しています。
おそらく、古今東西、あらゆるウィンナーワルツの演奏はこの録音を前に知れば頭を垂れるしかないでしょう。その意味では、これは「聞いてはいけない」録音かもしれません。
カラヤン&ウィーンフィルによる演奏を聞いたときはさすがはカラヤン、こういう作品を演奏すれば実に上手いものだと感心したのですが、そのすぐあとにこのライナーの録音を置きいてしまったのです。
「あぁ!悪いものを聞いてしまった!!」と思わざるを得ませんでした。
この精緻なアンサンブルに支えられた艶やかなオーケストラの響きは、あのウィーンフィルでさえ到底及ぶものではありません。アンサンブルの精緻さではセル統治下のクリーブランド管弦楽団ならば肩を並べることは出来てもこの艶やかさには及ぶべくもありません。それは、昨今のハイテクオケについても同様です。
そして、もう一つ指摘しておきたいのは極上の響きは見事にとらえきったRCA録音の素晴らしさです。おそらく、今もってこのレベルをこえるような録音はそれほど多くはないはずです。
そして、そう言う響きによって奏でられるワルツのなんというエレガントさ!!
その優雅さこそは真の大人である紳士淑女だけが集う舞踏会だけが醸し出すことが出来る世界です。
ただ一つ疑問なのは、、ライナーのあの恐い顔からどうすればこういう音楽が生み出せるのでしょうか。
あのいつも苦虫をかみつぶしたような顔でオケのメンバーをギロリと睨みながら、どうしてこんな音楽が生み出せるのでしょうか?それはもう、謎としか言いようがありません。
それとも、この時だけはギロリではなくてニタリと笑いながら指揮していたのでしょうか。
でも考えてみれば、その方がギロリと睨まれるよりも何倍も恐いかもしれません。
やはり人は顔で判断してはいけないと言うことなのでしょうか。それともそう言う顔があってこそこういう音楽が生まれるのでしょうか。
音楽とは不思議な世界です。