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ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第2集 作品72


ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 1963年~1965年録音をダウンロード

  1. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[1.Odzemek. Vivace]
  2. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[2.Dumka. Allegretto grazioso]
  3. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[3.Skocna. Allegro]
  4. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[4.Dumka. Allegretto grazioso]
  5. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[5.Spacirka. Poco Adagio?Vivace]
  6. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[6.Polonaise. Moderato, quasi menuetto]
  7. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[7.Kolo. Allegro vivace (C major)]
  8. Dvorak:Slavonic Dances Op.72[8.Sousedska. Grazioso e lento, ma non troppo, quasi tempo di Valse]

メランコリックで美しい旋律を持った作品が多い



スラブ舞曲の予想以上の大成功に気をよくした出版業者のジムロックは早速に第2集の作曲をドヴォルザークに依頼します。しかし、第1集の大成功で名声を確立したドヴォルザークは、彼が本来作曲したかったような作品の創作へと向かっていました。
速筆のドヴォルザークにしては珍しく時間をかけてじっくりと取り組んだピアノ三重奏曲ヘ短調やヴァイオリン協奏曲、交響曲の6番、7番などが次々と生み出されるのですが、スラブ舞曲の第2集に関しては固辞していました。

しかし、その様な「大作」だけでは大家族を養っていくことは困難だったようで、ある程度の稼ぎを得るためには「売れる」作品にも手を染めなければいけませんでした。そして、その様な仕事はドヴォルザークの心をブルーにし、鬱屈した思いが募っていきました。
そんな、ドヴォルザークに妻のアンナは散歩に出かけることをよくすすめたそうです。
すると、ドヴォルザークは葉巻を一本加えては汽車を見に行きました。ドヴォルザークにとって音楽の次に好きだったのが汽車だったのですが、その大好きな汽車を眺めているうちに鬱屈した思いも消え去って、再び元気になって帰宅したというエピソードが残されています。

そんなドヴォルザークに対してジムロックはついに第1集の10倍という破格のギャラで第2集の作曲をドヴォルザークに懇願します。
はたして、この金額が彼の心を動かしたのかどうかは定かではありませんが、今まで断り続けてきたこの仕事を、1886年になってドヴォルザークは突然に引き受けます。そして、わずか一ヶ月あまりで4手のピアノ楽譜を完成させてしまいます。

もちろん、だからといって、この第2集はお金目当てのやっつけ仕事だったというわけではありません。
ドヴォルザークは第1集において、この形式においてやれるべき事は全てやったという自負がありました。それだけに、これに続く第2集を依頼されても、それほど簡単に第1集を上回る仕事ができるとは思えなかったのもこの仕事を長く固持してきた理由でした。
ですから、彼が第2集の仕事を引き受けたときには、それなりの成算があってのことだったのでしょう。

この第2集では、チェコの舞曲は少ない数にとどめ、他のスラブ地域から様々な形式の舞曲が採用されています。
また、メランコリックで美しい旋律を持った作品が多いのもこの第2集の特徴です。明らかに、第2集の方が成功をおさめた巨匠のゆとりのようなものが感じ取れます。そう言う意味では、第1集よりはこちらの方が好きだという人も多いのではないでしょうか。

なお、この第2集もピアノ用に続いてオーケストラ版も出版されて、今ではそちらの方が広く流布しています。

  1. 第1番:モルト・ヴィヴァーチェ ロ長調 4分の2拍子

  2. 第2番:アレグレット・グラッティオーソ ホ短調 8分の3拍子

  3. 第3番:アレグロ ヘ長調 4分の2拍子

  4. 第4番:アレグレット・グラッティオーソ 変ニ長調 8分の3拍子

  5. 第5番:ポーコ・アダージョ 変ロ短調 8分の4拍子

  6. 第6番:モデラート・クアジ・ミヌエット 変ロ長調 4分の3拍子

  7. 第7番:アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の2拍子

  8. 第8番:グラッティオーソ・エ・レント・マ・ノン・トロッポ クアジ・テンポ・ディ・ヴァルセ 変イ長調 4分の3拍子



モノラル録音とは余裕が漂う

セルのスタジオ録音ですでにパブリック・ドメインとなっているものの中でもかなり大きな取りこぼしだったのがこの「スラブ舞曲集」です。
どうして、今までこれを取りこぼしていたのかというと理由は二つあります。

一つは、すでにモノラルでスタジオ録音された「スラブ舞曲集」はアップしてあったので、それでステレオ録音の方もすでにアップ済みだと勘違いしていたことです。
二つめは、その事に気づいた少なくないユーザーの方からステレオ録音の方もアップして欲しいと要望を受けたのですが、何故かそのような要望が立て続けにきたので、性格が基本的に天の邪鬼な為に(^^;、逆に後回しになってしまったのです。

子供でよくいますよね。
勉強もしないでだらだらしているので親から「はやく宿題を済ませなさい」なんて言われると、「今やろうと思っていたのに、そんな事を言われると逆にやる気がなくなってしまう」と文句を言うガキです。もちろん、そう言うガキは言わない限り絶対にやらないので言わないとだめなのですが・・・。
まあ、私もそれに似たようなもので(^^;、さすがにそろそろアップしないとまずいかなと思った次第です。

ただし、演奏に関するコメントはすでにモノラルの録音に感じたこととそれほど大きな違いはありません。時を隔てても作品への解釈が驚くほどぶれないのがセルという指揮者ですから、それは当然と言えば当然のことです。
手抜きで申し訳ないのですが、モノラル録音をアップしたときに以下のような感想を記していました。
聞いてすぐに分かるのは、彼の演奏にはいわゆるスラブ的な土くささみたいなものが全くないと言うことです。実にすっきりとしていて聞いていて実に気持ちがいいです。
ぼんやり聞いていると、スコアをそのまま何の衒いもなく音にしているだけなのに、どうしてこんなにも深い感情がにじみ出してくるのだろう、と不思議になってくるような演奏です。

ところが、よく注意して聞いてみると、一見何もしていないように見えながら、実はいろんな事をしているのに気づかされます。

まずは、各パートの響かせ方が絶妙です。もしも手元にスコアがあるならばそれを見ながら聞いて欲しいのですが、ごく些細な装飾音なども一切ごまかすことなく鳴らしきっています。結果として、他のコンビでは絶対に聴くことのできない強靱でありながら磨きぬかれた響きで全体が構成されています。
次に、気づくのは、微妙なルパートによってセル独自のニュアンスが作品に与えられていることです。ただし、このルパートはあまりにも微妙なので、ぼんやり聞いていると何もしないで淡々と演奏しているだけのように聞こえます。しかし、本当に何もしていないのならば、こんなにも深い情感が立ちのぼってくることは絶対にありません。
それぞれの舞曲に与えられた微妙なニュアンスはまさにセルによって考え抜かれたもので、その解釈はモラルもステレオもそれほど大差がないように思います。

ただし、50年代の中頃というのはセルとクリーブランド管の関係は極めて高い緊張感を維持していた時期です。
セルは己の思想とする響きに向けて情け容赦なくな要求を突きつけ、オーケストラもその要求に必死で食いついていた時期です。しかし、それも60年代の中頃になると、クリーブランド管はセルの楽器として完成形をむかえます。
つまりは、セルが強引にオケをコントロールしなくても、クリーブランド管は余裕を持ってセルの要求に応えられるレベルにまで成熟していたのです。ですから、基本的な解釈は変わらなくても、このステレオ録音からは余裕を持って演奏している雰囲気が漂います。そして、セルもその事に安心して、彼が持つこれらの作品への愛情をより色濃く表出することに躊躇いを感じていないように思えるのです。

それともう一つ不思議だったのが、このステレオ録音の録音クレジットです。
モノラルの時は第1集と第2集をそれぞれ日は改めながら一気に録音しています。全曲録音をしてレコードとしてリリースするならばそれが当たり前です。
ところが、このステレオ録音の方は第1集と第2集が日を変えて、数曲ずつバラバラで録音されているのです。

スラブ舞曲 第1集 作品46



  1. 1963年1月4日~5日録音(No.1,No.3)

  2. 1964年10月24日録音(No.6,No.8)

  3. 1965年1月22日録音(No.2,No.7)

  4. 1965年1月29日録音(NO.4,No.5)


ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第2集 作品72



  1. 1963年1月4日~5日録音(10,No.15)

  2. 1964年10月17日録音(No.12)

  3. 1965年1月22日録音(No.11,No.13,No.16)

  4. 1965年1月29日録音(NO.9,No.14)


ここからは、私の全くの空想であり、何の裏付けもないことです。
セルの録音スタイルは概ね以下の通りです。

レーベルからの録音依頼→セルがその依頼を気に入ればコンサートのプログラムに取り入れる→リハーサル→本番→レコーディング

おそらくこれがもっとも手間暇をかけずに録音を済ませる事が出来るやり方だったのでしょう。録音に臨むときにはすでに出来上がっているのですから。
しかし、どうやら「スラブ舞曲集」の全曲録音というのはセルにとってはあまりプログラムの中に取り入れたくはなかったのでしょう。それは、何となく分かるような気はします。
しかし、録音としては残したいという気持ちもあったようです。そうでなければ、このように手をかけて録音することはありません。

となると、一つ想像できるのはコンサートのアンコール・ピースとして計画的にスラブ舞曲集から何曲かを選び出していたという可能性です。そして、それが一定の曲数になる旅たびに一気にアンコール・ピースとして取り上げた作品を録音したと言うことです。
そうなると、セルとクリーブランド管はアンコール・ピースまでキッチリとリハーサルを行って「完璧」を期していたと言うことになります。

まあ、事実かどうかは時間をかけて調べないといけないのでしょうが、このコンビならば十分すぎるほどにあり得る話です。