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マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
ゲオルグ・ショルティ指揮 ロンドン交響楽団 1964年2月録音をダウンロード
- Gustav Mahler:Symphony No.1 [1.Langsam. schleppend]
- Gustav Mahler:Symphony No.1 [2.Kraftig, bewegt, doch nicht zu schnell]
- Gustav Mahler:Symphony No.1 [3.Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen]
- Gustav Mahler:Symphony No.1 [4.Sturmisch bewegt]
マーラーの青春の歌
偉大な作家というものはその処女作においてすべての要素が盛り込まれていると言います。作曲家にあてはめた場合、マーラーほどこの言葉がぴったり来る人はいないでしょう。
この第1番の交響曲には、いわゆるマーラー的な「要素」がすべて盛り込まれているといえます。ベートーベン以降の交響曲の系譜にこの作品を並べてみると、誰の作品とも似通っていません。
一時、ブルックナーとマーラーを並べて論じる傾向もありましたが、最近はそんな無謀なことをする人もいません。似通っているのは演奏時間の長さと編成の大きさぐらいで、後らはすべて違っているというか、正反対と思えるほどに違っています。
基本的に淡彩の世界であるブルックナーに対してマーラーはどこまで行っても極彩色です。
基本的なベクトルがシンプルさに向かっているブルックナーに対して、マーラーは複雑系そのものです。
そう言えば、この作品も完成までには複雑な経路を辿っています。もっとも、作品の完成に至る経路というのはブルックナーもひどく複雑なのですが、その複雑さの性質が二人の間では根本的に異なっています。
この作品のいわゆる「初稿」と思われるものは、1889年にブダペストでの初演で用いられたものでした。その「初稿」は「花の章」と名づけられたアンダンテ楽章を含む5楽章構成であり、全体が二部からなる「交響詩」とされていました。
しかしながら、マーラーは実際の演奏を通して不都合を感じるとこまめに改訂を行い、そのために最終的に筆を置いた時点で「決定稿」となる人でした。
その辺りが、ブルックナーとは根本的に作品と向き合うスタンスが異なるのです。
つまりは、うじうじと書き直すことで必ずしも「良くなる」とは限らないブルックナーでは「初稿」やそれぞれの「改訂稿」にも意味を与えなければいけません。しかし、マーラーの場合の「初稿」や「改訂稿」というものは、その後必要となった訂正が行われていない「未完成版」と言う意味しかもたないのです。
ですから、ブルックナーの新全集版では改訂されたすべての稿を独立して出版する必要に迫られるのですが、マーラーの場合はシンプルに最後の決定稿だけが出版されて事たれりとなっているのです。
しかしながら、この第1番だけはいささか複雑な経路を辿って決定稿に至っています。
マーラーはブダペストでの初演ではかなり不満を感じたようで、1894年のワイマールでの再演に際して大幅な手直しを行っています。そして、その時点で、マーラーはこの作品を「花の章」を含む5楽章構成の交響曲として「ティターン(巨人)」というタイトルを与えたのです。
その手直しは主に2,3,5楽章に集中していたようで、とりわけオーケストレーションにはかなり大幅な手直しがされたと伝えられています。
しかしながら、ブダペストでの初演で使われた初稿は現在では失われてしまっているので、その相違を細かく比較することは出来なくなっているようです。
ところが、何があったのかは不明ですが、1896年にベルリンで演奏したときには「花の章」を省く4楽章構成で演奏し、1899年にこの作品を出版するときにもその形が採用されました。また、「ティターン(巨人)」というタイトルや楽章ごとにつけられた「標題」なども削除されたようです。
また、終楽章にも小さな訂正が加えられました。
その後、1906年に別の出版社から出版されるときに第1楽章のリピートなどが追加され、さらに1967年の全集版では、その後マーラーが実演において指示した訂正や書き込み等を収録して、それが今日では「決定稿」と言うことになっています。
いささか煩雑なので、整理しておくと以下のように経緯となります。
- 1889年:ブダペストでの初演で使われた初稿:「花の章」を含む5楽章からなる2部構成の交響詩
- 1894年:ワイマールの再演で使われた第2稿:「初稿」に大幅な改訂を施した、「花の章」を含む5楽章構成の交響曲
- 1889年:ヴァインバーガー社から刊行された初版で第3稿にあたる。1896年のベルリンでの演奏家では「花の章」を省いた4楽章構成の交響曲として演奏されたスタイルをもとにしている。改訂時期は不明とされている。また、「ティターン(巨人)」というタイトルや楽章ごとにつけられた「標題」も削除された
- 1906年:ユニバーサル社から刊行された決定稿:第1楽章のリピートなどが追加されている。
- 1967年:全集版として刊行された決定稿の再修正版:マーラーが実演で採用した最終的な書き込みを反映させた。
そうなると、一番の問題は何故に途中で「花の章」を省いたのかという事が疑問として浮かび上がってきます。
もっとも、こういう事はあれこれ論を立てることは出来ても、最終的にはマーラー自身が何も語っていない以上は想像の域を出るものではありません。
ただ、明らかなことは、マーラーはその章を削除して「決定稿」としたという事実だけです。
そうであれば、この「花の章」を含んだ第2稿を持って、それこそがマーラーの真意だった、みたいな言い方をするのは根本的に間違っていると言うことです。
そして、先にも述べたように、その辺りこそがマーラーとブルックナーとの根本的な違いなのです。
もう一つのマーラー・ルネサンス
マーラー・ルネサンスと言えば、それはもうバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによって1960年代に行われた交響曲全集の録音と言うことになります。しかし、もう一人忘れてはいけないのがこのショルティによるマーラー録音です。バーンスタインは1960年の第4番の録音からスタートして、1967年の第6番の録音で全集を完成させています。(ただし、「大地の歌」は別途73年にイスラエル・フィルと録音しています)
そして、ショルティもまた1961年にコンセルトへボウと第4番を録音したことを皮切りに、その後ロンドン響とシカゴ響を使って1971年に全集を完成させています。(ただし、ショルティもまたこの時は「大地の歌」は録音しないで後回しにしています。)
バーンスタインはニューヨーク・フィルという手兵を持っていましたから、その手兵を使って録音を行ったのですが、ショルティはコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督という地位だったので、結果としてコンセルトヘボウやロンドン響を指揮しての録音と言うことになっています。
そして、1969年に、初めてシカゴ交響楽団というコンサート・オーケストラのシェフの地位に就くと残されていた6番から9番までの4曲を一気に録音して全集として完成させます。
- 交響曲第4番 コンセルトへボウ管弦楽団 1961年録音
- 交響曲第1番 ロンドン交響楽団 1964年録音
- 交響曲第2番 ロンドン交響楽団 1966年録音
- 交響曲第9番 ロンドン交響楽団 1966年録音
- 交響曲第3番 ロンドン交響楽団 19768年録音
- 交響曲第5番 シカゴ交響楽団 1970年録音
- 交響曲第6番 シカゴ交響楽団 1970年録音
- 交響曲第7番 シカゴ交響楽団 1970年録音
- 交響曲第8番 シカゴ交響楽団 1970年録音
まさに、バーンスタインの全集作成を追いかけるようにショルティもまたマーラーに取り組んだのでした。しかし、この一連のショルティの録音は不思議なほどに話題に上がりません。
その理由としては、シカゴ響という優れたオーケストラを手に入れることによって、60年代にコンセルトヘボウとロンドン響を使って録音した交響曲を再録音をして結局は「ショルティ指揮 シカゴ響によるマーラー全集」というセットが完成してしまったことが大きく影響したようです。
確かに、レーベル側からすれば、上の様な混成部隊による全集よりは、シカゴ響と言うスーパー・オーケストラとの全集とした方が売れ行きがいいのは決まっています。結果として、60年代のコンセルトヘボウとロンドン響の録音は日陰にまわり、市場にはシカゴ響との全集が出回ることになってしまったのです。
そして、もう一つ大きな影響を与えたのが、評論家筋からのシカゴ響との全集への根強い拒否反応です。
もっとも有名なのは、柴田南雄氏による第3番への評価でしょう。
柴田はその録音に対して「燦然たる音の輝きに幻惑されるような出来映えである」としながらも「その見事な饗宴に接して、これは、今日のマーラー理解という世界的現象のほんの一面、いわばその感覚的な表層しか代表していない」と続けるのです。そして、「レコード・ジャーナリストからは歓呼を持ってむかえられるレコードであろう。しかし同時に多くの人が、歓呼の彼方に振り切ることの出来ぬ空虚感の広がるのを実感せざるを得ないだろう」と断じるのです。
おそらく、こういう見方はマーラーだけに限らず、ショルティのあらゆる録音について回るこの国独特の見方の典型と言えるものです。
それでは、柴田はマーラーに何を求めていたのかというと、「マーラーならマーラーの交響曲の構造を通じて、それが生み出された時代が、いきいきとした姿で我々の生活の中に再構築されるのを体験したい」と述べ、その願いを叶える演奏としてテンシュテットの名前を挙げているのです。
確かに、テンシュテット大好きの私としてはその願いを否定するつもりはありませんし、まさにバーンスタインの新旧二つの全集もまた、その様な前世紀末のヨーロッパ文明との間に解決しがたい相克を抱えたマーラーの深刻な深刻な危機的状況を体験させる演奏でした。
いわゆる情念全開の、主観性に溢れた(もう少し柔らかく言えば深い共感に満ちた)マーラー演奏でした。
しかし、この柴田の指摘は、逆にマーラー演奏っていつもそうでなければいけないの、と言う素朴な疑問を呼び起こします。
そして、このショルティの60年代のマーラー演奏が情念爆発型のバーンスタインの仕事を追いかけるように為されたことを思えば、逆にそれだけがマーラー演奏の絶対的解でないことを示そうとしてるようにすら聞こえるのです。
そう、柴田も言っているように、その情念もまたマーラーも交響曲の構造を通じて表現されなければいけないのです。そして、バーンスタインのマーラー演奏を聞くとき、そのあまりに強すぎる共感故に作品の構造自体が破綻寸前、もしくは破綻しているように思われる場面に良く出くわすのです。しかし、同時にそれもまたマーラーならではの面白さとして多くの聞き手は受け入れているのです。
それに対して、ショルティは、そのマーラーの交響曲の持つ構造をこれ以上はないと言うほどの明確さで提示しているのです。その事を柴田は「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現するのにいくら感心しても実は始まらない」と切って捨てるのですが、それは今日的視点から見れば明らかに言いすぎであったことが明らかです。
今さら言うまでもないことですが、現在では極限まで「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現する」ことに重点をおいた演奏が主流を占めていて、その事が新しいマーラー理解につながっている事は否定しようがありません。そして、それがもたらすある種の身体的爽快感や壮大な響きへの耽溺がもたらす魅力にも抗しがたいものがあります。
そして、そう言うマーラー演奏の端緒を築いたのは間違いなくこの一連のショルティによる演奏です。
さらに付け加えれば、そう言うショルティの目指すものを見事なまでに形にしてユーザーに提供できたのはDeccaの優秀な録音陣のお手柄です。
これは有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが、Deccaを代表するプロデューサーだったカルショーはマーラーが大嫌いでした。そして、その嫌いというのはたんなる好き嫌いというレベルをこえていて、マーラーの音楽を聞くと本当に体の調子が悪くなってきて気分が悪くなってくると言うほどの拒否反応でした。
とは言え、試しにやってみようと言うことでショルティとカルショーは第1番の録音に挑戦したのですが、やはりカルショーはとてもじゃないが最後まで体が持たないと言うことで、若手のデーヴィッド・ハーヴェイに代役を頼み、それ以降はハーヴェイによるプロデュースでショルティのマーラーは録音されることになりました。
つまりはデーヴィッド・ハーヴェイは実にいい仕事をしたのです。
そう言うわけで、このショルティによるマーラー演奏は、バーンスタインとはまた異なった形のマーラー像を提供したと言うことで、これもまたもう一つのマーラー・ルネサンスだったと評価すべきではないかと思います。
そして、もういい加減、ショルティを実際に聞かずして最初から毛嫌いするような風潮はいい加減やめにした方がいいのではないでしょうか。
それとも、例えばこれら一連の録音で金管群などは鳴らすべきところは極めて威嚇的に目一杯ならしていることが多いのですが、そう言うところがお気に召さないのでしょうか。それが、カリスマだったギュンター・ヴァントだったりすると、彼がケルン放響と録音したブルックナーの全集における金管の咆哮には何の文句も言わないのですから、不思議なものです。
私も年を重ねたのか、最近はこのショルティを含めカラヤンなど、かつてはクラシック音楽ファンならば「アンチ」であることが「ステイタス」だったような人々が残した業績をもう一度正当に見直す必要を痛感しています。