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マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」


ゲオルグ・ショルティ指揮 ロンドン交響楽団 ロンドン交響合唱団 (S)ヘザー・ハーパー (A)ヘレン・ワッツ 1966年5月録音をダウンロード

  1. Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [1.Allegro maestoso]
  2. Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [2.Andante moderato]
  3. Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [3.In ruhig fliessender Bewegung]
  4. Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [4.Urlicht]
  5. Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [5.In Tempo des Scherzos]

交響曲の時代の終焉を飾った人、それがマーラーでした



交響曲の時代の終焉を飾った人、それがマーラーでした、と書けば反論が返ってくるかもしれません。マーラー以後も交響曲を書きつづけた人がいるからです。
たとえば、シベリウス、たとえば、ショスタコーヴィッチ。

しかし、彼らの交響曲は、クラシック音楽の中心に座りつづけてきた交響曲のありようとはどこかが違います。
シベリウスはその最後において、これ以上は切り詰めようもないほどの単楽章の7番で最後を飾ります。ショスタコーヴィッチも、14番では歌曲集だといわれても仕方のないような形に行き着きます。

そう言う意味では、ハイドン、ベートーベンと受け継がれてきた王道としての交響曲は、恐竜のように巨大化した果てに、マーラーで滅びてしまったと言っても言い過ぎではありません。

それにしても、巨大なシンフォニーです。普通に演奏しても90分はかかります。最終楽章だけでも30分ではおさまりきれません。オーケストラの構成も巨大化のきわみに達します。
彼はその晩年において、演奏に1000人を要する第8交響曲を生み出しますが、その巨大化のへの傾向はこの第2番でもはっきりとしています。特にこの最終楽章のラスト数分間にわたって繰り広げられる絢爛たる響きは特筆ものです。

そう言えば、この絢爛たる響きに魅せられて、これ一曲だけの指揮者になった人物がいました。彼は、そのために事業を起こして成功をおさめ、稼いだお金で指揮法を学び、プロのオーケストラを雇っては練習を重ねました。
そして、仕事の合間をぬっては、一曲だけの指揮者と銘打って演奏会を行いました。もちろん、自分のお金でオーケストラを雇ってですが、評判が高まるにつれて、時には正式に招かれることもあったようです。CDも出して、店頭に並べられたこともありました。

名前を確認しようとして資料を探したのですが、なかなか見つかりません。記憶では、なんとか・キャプランと言ったような気がします。(ジェームス・キャプランだったかな?当時は結構話題になったのですが、人の記憶なんて当てにならないものです・・・ギルバート・キャプランですね。2002年12月にはウィンフィルと録音もしていますね。大したものです。)
専門家筋では小馬鹿にしたような対応が大勢でしたが、私は、アメリカの金持ちと言うのは粋なことをするもんだと感心したものです。まさに、彼は自らの生涯をかけて、この作品を愛しつづけたのです。

<どうでも言い追記>
彼を小馬鹿にしていた評論家連中を沈黙させたのは、彼が愛した「復活」のキャプラン校訂による国際マーラー協会クリティカル・エディションの出版でした。
これは意外と知られていないことですが、マーラー演奏の時に結構深刻な問題となるのが、楽員の使っているパート譜と、指揮者の使うスコアが一致しない事が「普通」だという怖ろしい事実です。
そして、キャプランは色々なオケに客演して「復活」を演奏するたびにこの怖ろしい「事実」にたびたび遭遇するのですが、普通の指揮者ならばそんな事はやってられないことを、この「復活」一曲だけの指揮者はやってのけたのです。

彼は、まずマーラーの自筆譜を購入します。「復活」の自筆譜はバラバラの状態で世界中に散逸していたらしいのですが、彼はそれら全てを買い集めます。(なんて素敵なお金の使い方!!)

さらに音楽学者のレナーテ・シュタルク=フォイトの協力を得て、従来の出版譜と買い集めた自筆譜をつきあわせてその差異を細かく検証・分析し、400に及ぶ問題点や疑問箇所を抽出したのです。そして、その研究成果をもとに、「復活」の決定版とも言うべき「キャプラン校訂による国際マーラー協会クリティカル・エディション」を出版し、成果を世に問うたのです。
2002年にウィーンフィルに招かれて行った録音は、まさにそのキャプラン校訂版による世界初の録音だったのです。

これを持って、彼を小馬鹿にしていた評論家達は全て沈黙しました。
重ねて言いますが、大した男です。
<どうでも言い追記終わり>

マーラーは指揮者としては頂点を極めた人ですが、作曲家としてはそれほど認められることもなく世を去りました。彼は晩年、いつか自分の作品が認められる時代がくるはずだと信じてこの世を去りました。

60年代にバーンスタインがNYOとの共同作業で完成させたマーラーの交響曲全集は、マーラー再評価への偉大な狼煙でした。
彼は晩年にもうひとつの全集を完成させていますが、マーラーの福音を世につたえんとの気概に燃えた旧全集は今もその価値は失っていないと思います。
それ以後、CDの登場によって、マーラーは一躍クラシック音楽の表舞台に飛び出し、マーラーブームだといわれました。
今ではもはやブームではなく、クラシック音楽のコンサートにはなくてはならないスタンダードなプログラムとして定着しています。

まさに彼が語ったように、「巨人」の「復活」です。

もう一つのマーラー・ルネサンス

マーラー・ルネサンスと言えば、それはもうバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによって1960年代に行われた交響曲全集の録音と言うことになります。しかし、もう一人忘れてはいけないのがこのショルティによるマーラー録音です。
バーンスタインは1960年の第4番の録音からスタートして、1967年の第6番の録音で全集を完成させています。(ただし、「大地の歌」は別途73年にイスラエル・フィルと録音しています)

そして、ショルティもまた1961年にコンセルトへボウと第4番を録音したことを皮切りに、その後ロンドン響とシカゴ響を使って1971年に全集を完成させています。(ただし、ショルティもまたこの時は「大地の歌」は録音しないで後回しにしています。)
バーンスタインはニューヨーク・フィルという手兵を持っていましたから、その手兵を使って録音を行ったのですが、ショルティはコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督という地位だったので、結果としてコンセルトヘボウやロンドン響を指揮しての録音と言うことになっています。
そして、1969年に、初めてシカゴ交響楽団というコンサート・オーケストラのシェフの地位に就くと残されていた6番から9番までの4曲を一気に録音して全集として完成させます。

  1. 交響曲第4番 コンセルトへボウ管弦楽団 1961年録音

  2. 交響曲第1番 ロンドン交響楽団 1964年録音

  3. 交響曲第2番 ロンドン交響楽団 1966年録音

  4. 交響曲第9番 ロンドン交響楽団 1966年録音

  5. 交響曲第3番 ロンドン交響楽団 19768年録音

  6. 交響曲第5番 シカゴ交響楽団 1970年録音

  7. 交響曲第6番 シカゴ交響楽団 1970年録音

  8. 交響曲第7番 シカゴ交響楽団 1970年録音

  9. 交響曲第8番 シカゴ交響楽団 1970年録音


まさに、バーンスタインの全集作成を追いかけるようにショルティもまたマーラーに取り組んだのでした。しかし、この一連のショルティの録音は不思議なほどに話題に上がりません。
その理由としては、シカゴ響という優れたオーケストラを手に入れることによって、60年代にコンセルトヘボウとロンドン響を使って録音した交響曲を再録音をして結局は「ショルティ指揮 シカゴ響によるマーラー全集」というセットが完成してしまったことが大きく影響したようです。

確かに、レーベル側からすれば、上の様な混成部隊による全集よりは、シカゴ響と言うスーパー・オーケストラとの全集とした方が売れ行きがいいのは決まっています。結果として、60年代のコンセルトヘボウとロンドン響の録音は日陰にまわり、市場にはシカゴ響との全集が出回ることになってしまったのです。

そして、もう一つ大きな影響を与えたのが、評論家筋からのシカゴ響との全集への根強い拒否反応です。
もっとも有名なのは、柴田南雄氏による第3番への評価でしょう。
柴田はその録音に対して「燦然たる音の輝きに幻惑されるような出来映えである」としながらも「その見事な饗宴に接して、これは、今日のマーラー理解という世界的現象のほんの一面、いわばその感覚的な表層しか代表していない」と続けるのです。そして、「レコード・ジャーナリストからは歓呼を持ってむかえられるレコードであろう。しかし同時に多くの人が、歓呼の彼方に振り切ることの出来ぬ空虚感の広がるのを実感せざるを得ないだろう」と断じるのです。

おそらく、こういう見方はマーラーだけに限らず、ショルティのあらゆる録音について回るこの国独特の見方の典型と言えるものです。
それでは、柴田はマーラーに何を求めていたのかというと、「マーラーならマーラーの交響曲の構造を通じて、それが生み出された時代が、いきいきとした姿で我々の生活の中に再構築されるのを体験したい」と述べ、その願いを叶える演奏としてテンシュテットの名前を挙げているのです。
確かに、テンシュテット大好きの私としてはその願いを否定するつもりはありませんし、まさにバーンスタインの新旧二つの全集もまた、その様な前世紀末のヨーロッパ文明との間に解決しがたい相克を抱えたマーラーの深刻な深刻な危機的状況を体験させる演奏でした。
いわゆる情念全開の、主観性に溢れた(もう少し柔らかく言えば深い共感に満ちた)マーラー演奏でした。

しかし、この柴田の指摘は、逆にマーラー演奏っていつもそうでなければいけないの、と言う素朴な疑問を呼び起こします。
そして、このショルティの60年代のマーラー演奏が情念爆発型のバーンスタインの仕事を追いかけるように為されたことを思えば、逆にそれだけがマーラー演奏の絶対的解でないことを示そうとしてるようにすら聞こえるのです。

そう、柴田も言っているように、その情念もまたマーラーも交響曲の構造を通じて表現されなければいけないのです。そして、バーンスタインのマーラー演奏を聞くとき、そのあまりに強すぎる共感故に作品の構造自体が破綻寸前、もしくは破綻しているように思われる場面に良く出くわすのです。しかし、同時にそれもまたマーラーならではの面白さとして多くの聞き手は受け入れているのです。
それに対して、ショルティは、そのマーラーの交響曲の持つ構造をこれ以上はないと言うほどの明確さで提示しているのです。その事を柴田は「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現するのにいくら感心しても実は始まらない」と切って捨てるのですが、それは今日的視点から見れば明らかに言いすぎであったことが明らかです。

今さら言うまでもないことですが、現在では極限まで「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現する」ことに重点をおいた演奏が主流を占めていて、その事が新しいマーラー理解につながっている事は否定しようがありません。そして、それがもたらすある種の身体的爽快感や壮大な響きへの耽溺がもたらす魅力にも抗しがたいものがあります。
そして、そう言うマーラー演奏の端緒を築いたのは間違いなくこの一連のショルティによる演奏です。
さらに付け加えれば、そう言うショルティの目指すものを見事なまでに形にしてユーザーに提供できたのはDeccaの優秀な録音陣のお手柄です。

これは有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが、Deccaを代表するプロデューサーだったカルショーはマーラーが大嫌いでした。そして、その嫌いというのはたんなる好き嫌いというレベルをこえていて、マーラーの音楽を聞くと本当に体の調子が悪くなってきて気分が悪くなってくると言うほどの拒否反応でした。
とは言え、試しにやってみようと言うことでショルティとカルショーは第1番の録音に挑戦したのですが、やはりカルショーはとてもじゃないが最後まで体が持たないと言うことで、若手のデーヴィッド・ハーヴェイに代役を頼み、それ以降はハーヴェイによるプロデュースでショルティのマーラーは録音されることになりました。
つまりはデーヴィッド・ハーヴェイは実にいい仕事をしたのです。

そう言うわけで、このショルティによるマーラー演奏は、バーンスタインとはまた異なった形のマーラー像を提供したと言うことで、これもまたもう一つのマーラー・ルネサンスだったと評価すべきではないかと思います。
そして、もういい加減、ショルティを実際に聞かずして最初から毛嫌いするような風潮はいい加減やめにした方がいいのではないでしょうか。

それとも、例えばこれら一連の録音で金管群などは鳴らすべきところは極めて威嚇的に目一杯ならしていることが多いのですが、そう言うところがお気に召さないのでしょうか。それが、カリスマだったギュンター・ヴァントだったりすると、彼がケルン放響と録音したブルックナーの全集における金管の咆哮には何の文句も言わないのですから、不思議なものです。

私も年を重ねたのか、最近はこのショルティを含めカラヤンなど、かつてはクラシック音楽ファンならば「アンチ」であることが「ステイタス」だったような人々が残した業績をもう一度正当に見直す必要を痛感しています。