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モシュコフスキ:スペイン舞曲第I巻 Op.12


アタウルフォ・アルヘンタ指揮 ロンドン交響楽団 1957年1月録音をダウンロード

  1. Moszkowski:Spanish Dance Bokk1, Op.12 [1.No.1 IN C major]
  2. Moszkowski:Spanish Dance Bokk1, Op.12 [2.No.2 in G minor]
  3. Moszkowski:Spanish Dance Bokk1, Op.12 [3.No.3 inA major]
  4. Moszkowski:Spanish Dance Bokk1, Op.12 [4.No.4 in B-flat majot]
  5. Moszkowski:Spanish Dance Bokk1, Op.12 [5.No.5 in D major(Borelo)]

大袈裟なエキゾチシズムは持ち込んでいない



モシュコフスキはその名前から想像されるとおりスペイン人ではなく、ポーランド人です。ピアニストとして名声を得るのですが、腕の故障で演奏会が開けなくなると、指揮活動に重点を移し、ピアノ曲だけでなく管弦楽作品の作曲までにも積極的に取り組みはじめます。
そんなモシュコフスキを代表するのが4手のピアノのための「スペイン舞曲集」です。

ただし、モシュコフスキという人は基本的に上品なサロンのピアニストだったので、大袈裟なエキゾチシズムを作品の中に持ち込むことには否定的でした。そう言うこともあってか、作品のクオリティは十分に高いと思われるのですが、ブラームスの ハンガリア舞曲やドヴォルザークのスラヴ舞曲ほどには人気を得ていないようです。

そして、音楽に対するスタンスも保守的で、作曲の弟子をとるのをやめたときに「彼らは頭のおかしい芸術家のように作曲をしたがるんだ。スクリャービンやシェーンベルク、ドビュッシー、サティみたいにね」と語ったと言われています。
また、ピアニスト出身の音楽家でありながら、創作の範囲はピアノ曲だけに限らず、多くのすぐれた管弦楽作品を残しています。そして、ピアノやヴィオリンの協奏曲などを聞いてみると、その管弦楽法はただの伴奏に終わるものではなく非常に凝ったオーケストレーションが施されています。また、ショーピースのような管弦楽作品でも華麗な響きを聞かせてくれていますから、もっと聞かれてよい作曲家ではないでしょうか。

ただし、いささか残念なのは、彼のもっとも有名な作品である4「スペイン舞曲」の管弦楽版はモシュコフスキ自身ではなくてフィリップ・シャルヴェンカなる人物によって行われていることです。
出来ればモシュコフスキ自身の手になるオーケストラ版を聞きたかったものです。


思いっきりスペインの側にふれた演奏

アタウルフォ・アルヘンタの名前も聞くことは少なくなってきたのですが、未だに一部では根強い支持者がいるようです。それは、若くして不幸な死を迎えたアルヘンタへの思いがあるからでもあり、さらに言えば、彼の最後の年となった1957年から58年にかけての演奏と録音が素晴らしかったからです。
とりわけ、「Espana!(エスパーニャ)」と題されたアルバムには以下の4曲が収録されていて、その思いっきりスペインの側に振り切れた演奏は今も名盤として名高い一枚となっています。

  1. グラナドス:アンダルーサ(スペイン舞曲第5番)

  2. シャブリエ:狂詩曲「スペイン」

  3. モシュコフスキ:スペイン舞曲第I巻 Op.12

  4. リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲, Op.34


このうちグラナドスだけがスペイン人なのですが、それ以外は全て外国人によるスペイン風の音楽が選ばれています。さらに言えば、グラナドスもまたカタルーニャ地方の出身ですから、スペインの中では独自の文化持った地域にルーツを持っています。
ですから、それらの作品はあくまでも「スペイン風」であって、その作品の根っこにはそれぞれの母国の血のようなものが流れています。
確認するまでもないかもしれませんが、シャブリエはフランス、モシュコフスキはポーランド、そしてリムスキー・コルサコフは言うまでもなくロシアです。

この中でも、リムスキー・コルサコフのスペイン奇想曲は「スペイン」と名前はついていても根深くロシアの憂愁みたいなものがつきまとう作品です。しかし、アルヘンタはそう言うものは全て投げ捨てて、明るく弾むようなスペインの音楽として聞き手に提示してくれています。それはもう、爽快という一言に尽きます。

しかしながら、この少し前までは、アルヘンタはこういう人ではありませんでした。
切っ掛けは、1956年に結核のために長く指揮活動を中断しなければいけなかったことです。もともと病弱だったと伝えられているアルヘンタですから、それは彼に大きな衝撃と同時に、自分の音楽をもう一度見つめ直す機会を与えたのかもしれません。

それだけに、1958年1月に、車のエンジンを切らずに眠り込んでしまい、一酸化炭素中毒で急逝したのは実に惜しまれる話です。