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リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」, Op.35


ルドルフ・ケンペ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1967年2月16日~17日録音をダウンロード

  1. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [1.The Sea and Sinbad's Ship]
  2. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [2.The Legend of the Kalendar Prince]
  3. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [3.The Young Prince and The Young Princess ]
  4. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [4.Festival at Baghdad. The Sea. Ship Breaks against a Cliff Surmounted by a Bronze Horseman]

管弦楽法の一つの頂点を示す作品です。



1887年からその翌年にかけて、R.コルサコフは幾つかの優れた管弦楽曲を生み出していますが、その中でももっとも有名なのがこの「シェエラザード」です。彼はこの後、ワーグナーの強い影響を受けて基本的にはオペラ作曲家として生涯を終えますから、ワーグナーの影響を受ける前の頂点を示すこれらの作品はある意味ではとても貴重です。

実際、作曲者自身も「ワーグナーの影響を受けることなく、通常のオーケストラ編成で輝かしい響きを獲得した」作品だと自賛しています。
実際、打楽器に関しては大太鼓、小太鼓、シンバル、タンバリン、タムタム等とたくさんでてきますが、ワーグナーの影響を受けて彼が用いはじめる強大な編成とは一線を画するものとなっています。

また、楽曲構成についても当初は
「サルタンは女性はすべて不誠実で不貞であると信じ、結婚した王妃 を初夜のあとで殺すことを誓っていた。しかし、シェエラザードは夜毎興味深い話をサルタンに聞かせ、そのた めサルタンは彼女の首をはねることを一夜また一夜とのばした。 彼女は千一夜にわたって生き長らえついにサルタンにその残酷な誓いをすてさせたの である。」
との解説をスコアに付けて、それぞれの楽章にも分かりやすい標題をつけていました。

しかし、後にはこの作品を交響的作品として聞いてもらうことを望むようになり、当初つけられていた標題も破棄されました。
今も各楽章には標題がつけられていることが一般的ですが、そう言う経過からも分かるように、それらの標題やそれに付属する解説は作曲者自身が付けたものではありません。

そんなわけで、とにかく原典尊重の時代ですから、こういうあやしげな(?)標題も原作者の意志にそって破棄されるのかと思いきや、私が知る限りでは全てのCDにこの標題がつけられています。それはポリシーの不徹底と言うよりは、やはり標題音楽の分かりやすさが優先されると言うことなのでしょう。
抽象的な絶対音楽として聞いても十分に面白い作品だと思いますが、アラビアン・ナイトの物語として聞けばさらに面白さ倍増です。

まあその辺は聞き手の自由で、あまりうるさいことは言わずに聞きたいように聞けばよい、と言うことなのでしょう。そんなわけで、参考のためにあやしげな標題(?)も付けておきました。参考にしたい方は参考にして下さい。


  1. 第1楽章 「海とシンドバットの冒険」

  2. 第2楽章 「カランダール王子の物語」

  3. 第3楽章 「若き王子と王女」

  4. 第4楽章 「バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」



語り口の上手さ

ケンペと言えばベートーベンやブラームスに代表されるようなドイツ・オーストリア系の正統派の作品を手堅くまとめ上げるというイメージがついて回ります。しかし、ケンペにとっての「本線」とも言うべきベートーベンやブラームスに関しては数多くの名演・名盤に恵まれていますから、その中でどれほど自己主張ができるのかと問われればいささか心許なくなってしまいます。

ですから、そう言う「本線」以外の演奏の方が意外と他者との差別化が出来て、意外と心に染み込んでくる事があります。おそらくは、べーートーベンやブラームスという大きな縛りから抜け出せるために、かえって自分らしさが出せたのかもしれません。
たとえば、ドヴォルザークの「新世界より」の第2楽章で聞ける深い情感あふれる表現は出色です。第3楽章から最終楽章へと突き進んでいくベルリンフィルからはドイツの田舎オケらしいゴリゴリとした迫力が感じられてこれもまたかなり魅力的です。

さらに言えば、これらを一括して論じていいのかは多少の躊躇いを覚えるのですが、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」とかメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」なんかは、ロイヤル・フィルから素晴らしい響きをひきだしています。
さらに、極めてレアな作品なのですがフェリックス・モットルがグルックの作品を下敷きに編曲したバレエ組曲ではウィーンフィルを使っているのですが、まさにウィーンフィルならではの美しい響きを見事にひきだしています。そう言えば、これも小品ですが、レハールの「金と銀」などは見事なものでした。

そしてそれらの演奏に何よりも共通しているのは「語り口の上手さ」です。
あまり簡単に決めつけるのは良くないのでしょうが、そのあたりにもとはオペラ指揮者が本線であり、その後コンサート指揮者に転向した強みが存分に発揮されているように思われます。そして、その語り口の上手さだけでなく、コンサート指揮者としての経験によってオーケストラのバランスを見事にとる事によって、どのオーケストラからも最良の響きの美しさを引き出す能力も備えているのです。
そう言う強みは本線のドイツ・オーストリア系の正統派の作品よりは、そこからは少し距離をおいた傍系の作品での方が上手く引き出せているのではないでしょうか。

もっとも、その辺りの作品で評価されるのはケンペにとっては不本意かもしれませんが、どれもが素直に楽しめる演奏になっていることはやはり見事と言うしかありません。