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メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」 作品21&61 より(抜粋)


ルドルフ・ケンペ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1961年1月30日&2月1日~3日録音をダウンロード

  1. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream, Op.21 [1.Overture Op.21]
  2. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream, Op.61 [3.Nocturne, Op.61 No.7]
  3. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream, Op.61 [2.Scherzo, Op.61 No.1]
  4. Mendelssohn:A Midsummer Night's Dream, Op.61 [5.Wedding March, Op.61 No.9]

メンデルスゾーンの天才性が発露した作品



まず初めにどうでもいいことですが、この作品は長く「真夏の夜の夢」と訳されてきました。それは、シェークスピアの原題の「A Midsummer Night's Dream」の「Midsummer」を「真夏」と翻訳したためです。
しかし、これは明らかに誤訳で、この戯曲における「Midsummer」とは、「midsummer day(夏至)」を指し示していることは明らかです。この日は「夏のクリスマス」とも呼ばれる聖ヨハネ祭が祝われる日であり、それは同時に、キリスト教が広くヨーロッパを覆うようになる以前の太陽神の時代の祭事が色濃く反映している行事です。ですから、この聖ヨハネ祭の前夜には妖精や魔女,死霊や生霊などが乱舞すると信じられていました。シェークスピアの「A Midsummer Night's Dream」もこのような伝説を背景として成りたっている戯曲ですから、この「Midsummer」は明らかに「夏至」と解すべきです。
そのため、最近は「真夏の夜の夢」ではなくて、「夏の夜の夢」とされることが多くなってきました。
まあ、どうでもいいような話ですが・・・。

さらに、どうでもいいような話をもう一つすると、この作品は組曲「夏の夜の夢」として、序曲に続けて「スケルツォ」「間奏曲」「夜想曲」「結婚行進曲」が演奏されるのが一般的ですが、実はこの序曲と、それに続く4曲はもともとは別の作品です。

まず、序曲の方が先に作曲されました。これまた、元曲はピアノ連弾用の作品で、家族で演奏を楽しむために作曲されました。しかし、作品のできばえがあまりにもすばらしかったので、すぐにオーケストラ用に編曲され、今ではこの管弦楽用のバージョンが広く世間に流布しています。
これが、「夏の夜の夢 序曲 ホ長調 作品21」です。
驚くべきは、この時メンデルスゾーンはわずか17歳だったことです。
天才と言えばモーツァルトが持ち出されますが、彼の子ども時代の作品はやはり子どものものです。たとえば、交響曲の分野で大きな飛躍を示したK183とK201を作曲したのは、彼もまた1773年の17歳の時なのです。
しかし、楽器の音色を効果的に用いる(クラリネットを使ったロバのいななきが特に有名)独創性と、それらを緊密に結びつけて妖精の世界を描き出していく完成度の高さは、17歳のモーツァルトを上回っているかもしれません。
ただ、モーツァルトはその後、とんでもなく遠いところまで歩いていってしまいましたが・・・。

ついで、この序曲を聴いたプロイセンの王様(ヴィルヘルム4世)が、「これはすばらしい!!序曲だけではもったいないから続くも書いてみよ!」と言うことになって、およそ20年後に「劇付随音楽 夏の夜の夢 作品61」が作曲されます。
このヴィルヘルム4世は中世的な王権にあこがれていた時代錯誤の王様だったようですが、これはバイエルンのルートヴィヒ2世も同じで、こういう時代錯誤的な金持ちでもいないと芸術は栄えないようです。(^^;
ただし、ヴィルヘルム4世の方は「狂王」と呼ばれるほどの「器の大きさ」はなかったので、音楽史に名をとどめるのはこれくらいで終わったようです。

作品61とナンバリングされた劇付随音楽は以下の12曲でできていました。

1. スケルツォ
2. 情景(メロドラマ)と妖精の行進
3. 歌と合唱「舌先裂けたまだら蛇」(ソプラノ、メゾソプラノ独唱と女声合唱が加わる)
4. 情景(メロドラマ)
5. 間奏曲
6. 情景(メロドラマ)
7. 夜想曲
8. 情景(メロドラマ)
9. 結婚行進曲 - ハ長調、ロンド形式
10. 情景(メロドラマ)と葬送行進曲
11. ベルガマスク舞曲
12. 情景(メロドラマ)と終曲(ソプラノ、メゾソプラノ独唱と女声合唱が加わる)

ただし、先にも述べたように、現在では、作品21の序曲と、劇付随音楽から「スケルツォ」「間奏曲」「夜想曲」「結婚行進曲」の4曲がセレクトされて、組曲「夏の夜の夢」として演奏されることが一般的となっています。

語り口の上手さ

ケンペと言えばベートーベンやブラームスに代表されるようなドイツ・オーストリア系の正統派の作品を手堅くまとめ上げるというイメージがついて回ります。しかし、ケンペにとっての「本線」とも言うべきベートーベンやブラームスに関しては数多くの名演・名盤に恵まれていますから、その中でどれほど自己主張ができるのかと問われればいささか心許なくなってしまいます。

ですから、そう言う「本線」以外の演奏の方が意外と他者との差別化が出来て、意外と心に染み込んでくる事があります。おそらくは、べーートーベンやブラームスという大きな縛りから抜け出せるために、かえって自分らしさが出せたのかもしれません。
たとえば、ドヴォルザークの「新世界より」の第2楽章で聞ける深い情感あふれる表現は出色です。第3楽章から最終楽章へと突き進んでいくベルリンフィルからはドイツの田舎オケらしいゴリゴリとした迫力が感じられてこれもまたかなり魅力的です。

さらに言えば、これらを一括して論じていいのかは多少の躊躇いを覚えるのですが、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」とかメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」なんかは、ロイヤル・フィルから素晴らしい響きをひきだしています。
さらに、極めてレアな作品なのですがフェリックス・モットルがグルックの作品を下敷きに編曲したバレエ組曲ではウィーンフィルを使っているのですが、まさにウィーンフィルならではの美しい響きを見事にひきだしています。そう言えば、これも小品ですが、レハールの「金と銀」などは見事なものでした。

そしてそれらの演奏に何よりも共通しているのは「語り口の上手さ」です。
あまり簡単に決めつけるのは良くないのでしょうが、そのあたりにもとはオペラ指揮者が本線であり、その後コンサート指揮者に転向した強みが存分に発揮されているように思われます。そして、その語り口の上手さだけでなく、コンサート指揮者としての経験によってオーケストラのバランスを見事にとる事によって、どのオーケストラからも最良の響きの美しさを引き出す能力も備えているのです。
そう言う強みは本線のドイツ・オーストリア系の正統派の作品よりは、そこからは少し距離をおいた傍系の作品での方が上手く引き出せているのではないでしょうか。

もっとも、その辺りの作品で評価されるのはケンペにとっては不本意かもしれませんが、どれもが素直に楽しめる演奏になっていることはやはり見事と言うしかありません。