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ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11
(P)ニキタ・マガロフ:ロベルト・ベンツィ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団 1961年録音をダウンロード
- Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11 [1.Allegro maestoso]
- Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11 [2.Larghetto]
- Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11 [3.Rondo: Vivace]
告別のコンチェルト
よく知られているように、ショパンにとっての協奏曲の第1作は第2番の方で、この第1番の協奏曲が第2作目の協奏曲です。
1830年4月に創作に着手され、8月には完成をしています。初演は、同年の10月11日にワルシャワ国立歌劇場でショパン自身のピアノ演奏で行われました。この演奏会には当時のショパンが心からあこがれていたグワドコフスカも特別に出演をしています。
この作品の全編にわたって流れている「憧れへの追憶」のようなイメージは疑いもなく彼女への追憶がだぶっています。
ショパン自身は、この演奏会に憧れの彼女も出演したことで、大変な緊張感を感じたことを友人に語っています。しかし、演奏会そのものは大成功で、それに自信を得たショパンはよく11月の2日にウィーンに旅立ちます。
その後のショパンの人生はよく知られたように、この旅立ちが祖国ポーランドとの永遠の別れとなってしまいました。
そう意味で、この協奏曲は祖国ポーランドとの、そして憧れのグワドコフスカとの決別のコンチェルトとなったのです。
それから、この作品はピアノの独奏部分に対して、オーケストラパートがあまりにも貧弱であるとの指摘がされてきました。そのため、一時は多くの人がオーケストラパートに手を入れてきました。しかし最近はなんと言っても原典尊重ですから、素朴で質素なオリジナル版の方がピアノのパートがきれいに浮かび上がってくる、などの理由でそのような改変版はあまり使われなくなったようです。
それから、これまたどうでもいいことですが、私はこの作品を聞くと必ず思い出すイメージがあります。国境にかかる長い鉄橋を列車が通り過ぎていくイメージです。ここに、あの有名な第1楽章のピアノソロが被さってきます。
なぜかいつも浮かび上がってくる心象風景です。
楷書体のショパン
この録音を聞いてまず最初に驚かされるのが、気合い満々のオケによる前奏です。そして、その「楷書体」と言いたいほどに決然とした前奏は、ショパンの協奏曲では滅多に聴けないものです。そして、その気合い満々のオケが「コンセール・ラムルー管弦楽団」と知って、さらに驚いてしまいました。
へえ、コンセール・ラムルー管弦楽団もこんなに気合いが入るときがあるんだ、でも、ショパンの協奏曲の伴奏で気合いが入るって不思議と言えば不思議なオケだよね・・・、等と思ってしまうのです。
そう言えば、「ショパンの協奏曲のオーケストラ伴奏ってそれなりに凄いんだ!」と気合いを入れたクリスチャン・ツィメルマンの弾き振りによる録音がありました。あれを初めて聞いたときはオーディオ機器の調子が悪くなったのかと思うほどに、細部の細部まで手を入れたオーケストラ演奏になっていました。
しかし、この録音を聞けば、あんな手練手管を使わなくても、きちんと、そして気合いを入れて決然と演奏すれば、決して聞き劣りのする音楽ではないことに気づかされるのです。
そして、ひたすら気合いが入っているだけでなく、ピアノのソロにそっと寄りそうような管楽器の響きなども魅力的です。そして、その姿勢をラムルー管は最後まで薄なうことなく演奏しきっているのです。
日頃はどれほどだれた演奏をしていようと、ひとたび何かの間違いで(^^;、本気の気合いが入ったときのフランスのオケは凄いものだとあらためて感心させられました。
でも、ピアノ協奏曲でピアノのソロには全くふれずに、ここまでオケのことばかり書きたくなると言うのは、実に希有な演奏だと言うことになります。
とは言っても、独奏者のマガロフに問題があるわけではありません。
マガロフのピアノもまた、決然たるオケの響きと歩調を合わせて、こちらもまた決然たる「楷書体」で押しきっています。そして、歌うべきところは実に潔癖な潔さでもって歌い上げています。
おそらく、オケとピアノと、その両方がここまで青春の影とか切なさなどと言うものから距離をおいたショパンは他に思い当たりません。
実に見事なもので、感服しました。
でも、指揮者のロベルト・ベンツィって、今も健在らしいのですが、ほとんどどんな人なのかは分からないですね。
ちなみに、この時ロベルト・ベンツィは24歳です。聞くところによると、1948年にわずか11歳で指揮者デビューをしたそうです。
おそらくは若さゆえの奇蹟だったのかもしれません。