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メンデルスゾーン:交響曲第1番 ハ短調, Op.11
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1967年6月録音をダウンロード
- Mendelssohn:Symphony No.1, Op.11 [1.Allegro di molto]
- Mendelssohn:Symphony No.1, Op.11 [2.Andante]
- Mendelssohn:Symphony No.1, Op.11 [3.Menuetto. Allegro molto - Trio]
- Mendelssohn:Symphony No.1, Op.11 [4.Allegro con fuoco ?-Piu stretto]
到底ミドル・ティーンの手になるものとは信じがたいほどの完成度を持っている
メンデルスゾーンは12才から14才に至る2年間に弦楽合奏のための交響曲を12曲作曲しています。そして、15才の時に、まさに満を持して2菅編成(トロンボーンを含みません)による本格的な交響曲の作曲に着手します。
作曲は順調に進み、およそ半年ほどの間に書き上げてしまったようです。つまりは、この交響曲は彼の15才の前半を使って書かれた交響曲なのです。
完成した交響曲は彼がそれまでに必死に学んできたハイドンやモーツァルト、ベートーベンの影響と、ウェーバーが新しく生み出した響きなどを取り込んだものでした。
そして彼が17才の時にヨハン・フィリップ・シュルツの指揮によるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演も為されます。到底ミドル・ティーンの手になるものとは信じがたいほどの完成度を持ったその交響曲は好意的に受け止められました。さらに、その2年後にはメンデルスゾーン自身の指揮によってロンドンのフィルハーモニック協会の演奏会において披露され、初演時以上の成功を勝ち取ります。
しかしながら、今日ではこの作品が演奏される機会は非常に少ないと言えます。同じく、録音の数も多くはありません。
やはり、どこかに「若書きの作品」という思いがあるのかもしれませんし、別の面から言えばメンデルスゾーンの勤勉さ故に、その作品には先人たちの模倣のように感じられる部分が大きいと見なされるのかもしれません。
しかし、例えば、第1楽章の長大なコーダなどを聴いていると、そこには15才少年から青年へと脱皮していくような時期でなければ書けないような若々しい息吹を感じずにはおれません。そして、おそらくはメンデルスゾーンの大きな功績と言えるであろう「夏の夜の夢序曲」で表現したオーケストラによる全く新しい響きの萌芽がこの作品にもしっかりと刻み込まれています。
なお、面白いのはロンドンでの演奏会の時には第3楽章を八重奏曲のスケルツォ楽章に置き換えたことです。
このスケルツォ的なメヌエットとコラール風のトリオを持ち、さらにはベートーベンの5番の3楽章から4楽章への移行を連想させるような魅力的な楽章に対して、どうしてそのようなことを行ったのかは全く謎です。
もっとも、そのあたりに、あまりにも勤勉で真面目に過ぎたが故の彼の人生の陰が生まれつつあったのかもしれません。
まさにプロの仕事
サヴァリッシュのメンデルスゾーンと言えば、1967年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団と録音した「全集」を想起するのが普通でしょう。ところが、このメンデルゾーンの各曲の初出年がなかなか確定できませんでした。
しかし、漸くにして1966年に録音された4番と5番が1966年にリリースされ、1967年に録音された3番も1967年にリリースされていることが確認できました。
しかし、3番と同じく1967年6月にまとめて録音された1番と2番の初出年がどうしても分かりません。
日本国内では1968年に全集としてリリースされていることは分かったので、残念ながらギリギリでアウトかなと思っていました。しかし、最近になって、3番と同じく1967年にオランダで発行(Philips SC71AX404)されていることが確認できました。
つまりは、めでたくサヴァリッシュの全集はギリギリでパブリック・ドメインになっていると言うことです。
おそらく、60年代後半におけるサヴァリッシュの録音活動としてはこのメンデルスゾーンの交響曲全集は大きな位置を占めるものですから、それらがパブリック・ドメインとして紹介できるのは幸いなことです。
サヴァリッシュのメンデルスゾーンと言えば1959年にウィーン交響楽団と録音した「イタリア」があります。
このニュー・フィルハーモニア管弦楽団を使っての全集録音は、その時のアプローチとほとんど変わっていないように思われます。さらに言えば、59年録音の特徴だった美しい響きにはさらに磨きがかかっています。
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とは、フィルハーモニア管がウォルター・レッグによって1964年に解散させられた後に、オーケストラ団たちが自主運営組織として再スタートさせたオーケストラです。ですから、実態はフィルハーモニア管とほとんど変わらないはずです。
そして、この新しいスタートを支えたのがクレンペラーだったのですが、クレンペラーが高齢となって引退したあともリッカルド・ムーティやロリン・マゼールなどが支え続けました。そして、1977年には再びフィルハーモニア管弦楽団(The Philharmonia Orchestra)の名称を回復することになります。
そういう事情を考えてみれば、財政的にかなり厳しかったであろう1966年と67年にメンデルスゾーンの交響曲全集の録音という仕事が入ったのはありがたかったことでしょう。
おそらく、オーケストラ側にはここで底力を見せなければ先が見えてこないという思いもあり、さらにはそう言うやる気のあるオーケストラを前にして、的確なコントロールでその能力を十全に発揮させるサヴァリッシュの手腕があいまって、過去のフィルハーモニア管とはひと味違う響きの美しさ生み出しているように思われます。
ただし、その響きは力感を排した柔らかくて透明感のある響きなので、聞き手によっては迫力不足に感じるかもしれません。しかし、ともすればある種の物語性を纏いかねない音楽から一切の物語性を脱ぎ捨てて、おそらくはメンデルスゾーンですら想像しなかったほどのスタイリッシュにしてクリアな音の造形物へと仕上げていく上では、そう言う響きこそが相応しかったのでしょう。
そういえば、この頃のサヴァリッシュの指揮を「外科医のような」と評した人がいました。
さらには、毎年日本を訪れてN響を指揮をしている姿を見て、これで演奏できなければ不思議だと言わしめたほどにクリアな指揮をする人でした。
確かに、それもまたサヴァリッシュのの本質をい当てているのでしょうが、このメンデルスゾーンの録音では響きの美しさに魅せられます。
そう言えば、サヴァリッシュにとってメンデルスゾーンはお気に入りの作曲家で、彼の管弦楽作品の校訂を全て自分で行ったという話を聞いたことがあります。おそらく、5曲の交響曲のスコアはその済みの隅まで知り尽くしていたことでしょう。
そして、その徹底的なスコア・リーディングによって読み取ったものを、的確な指示でオケに伝えて、その結果として響きの美しさを生み出している事は明らかです。
そう言う美しさというのは、全て現実的な細かい作業の精緻な積み重ねの結果であって、決して「やる気」や「根性」「気合い」などによっては実現しないものです。
それは、ごく当たり前のことなのですが、そう言う当たり前のことをあらためて思い知らされたプロの仕事でした。
それから、全曲聞き通して気づいたことですが、第1番と第2番というレアな作品への共感が強いように感じました。その2曲に関しては何とも言えない勢いを感じます。その辺もまたプロならではのスタンスなのでしょうか。