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ビゼー:小組曲「子どもの遊び」
シャルル・ミュンシュ指揮 フランス国立管弦楽団 1966年10月~11月録音をダウンロード
- Bizet:Petite Suite d'orchestre "Jeux d'enfants" [1.Trompette et Tambour (Marche)]
- Bizet:Petite Suite d'orchestre "Jeux d'enfants" [2.La Poupee (Berceuse)]
- Bizet:Petite Suite d'orchestre "Jeux d'enfants" [3.La Toupie (Impromptu)]
- Bizet:Petite Suite d'orchestre "Jeux d'enfants" [4.Petit mari,petite femme! (Duo)]
- Bizet:Petite Suite d'orchestre "Jeux d'enfants" [5.Le Bal (Galop)]
今では管弦楽版の方が有名なようです。
このような「子供の・・・」というタイトルと方向性をもった作品というのは、西洋音楽の中において一つのジャンルとして存在するのでしょうか。
おそらく一番有名なのはシューマンの「子供の情景」でしょう。
言うまでもなく、こういう作品は「子供のための3つのピアノソナタ」みたいな子供の学習用としてではなく、子供をテーマにした大人のための音楽であることは言うまでもありません。有名な「子供情景」も、クララがシューマンに宛てた手紙の中で「時々あなたは子供に思えます」と書いたことが一つのきっかけとして生まれた音楽です。
クララからそんなことを言われて有頂天になったシューマンが、その「言葉の余韻の中で作曲したのです。」
それからもう一つ有名なものとしてドビュッシーの「子供の領分 」があります。
この作品には「父親の優しい言いわけ」という献辞がついているのですが、この「言い訳」が分かるのは大人だけです。
どろどろの不倫劇の果てに全ての友人を失い、その果てに生まれた娘への溺愛の産物なのですから、そんな男の言い訳が子供に分かるはずはないのです。
そう言う作品に較べると、ビゼーの「子どの遊び」は知名度という点では見劣りがします。そして、これはもしかしたら子供用の連弾曲として構想されたものかもしれません。
ただし、聞いてみると、これが意外なほどに素晴らしい音楽であり、口の悪い人に言わせれば「ビゼーの最高傑作」なんて事も言われたりします。(そりゃ、いくら何でも・・・)
ただし、作品の出来にはビゼー自身も自信があったのでしょう。
12曲のピアノ用連弾曲として作曲されたものを、そこから5曲選び出して管弦楽曲として編曲しているのです。そして、この管弦楽版は連弾曲と区別するために、一般的に小組曲「子どもの遊び」 と呼ばれます。
子供の遊び (ピアノ連弾曲)
- ぶらんこ(夢想) L'Escarpoletto (Reverie)
- こま(即興曲) La Toupie (Impromptu)
- お人形(子守歌) La Poupee (Berceuse)
- 回転木馬(スケルツォ) Les Chevaux de Bois (Scherzo)
- 羽根つき(幻想曲) Le Volant (Fantaisie)
- ラッパと太鼓(行進曲) Trompette et Tambour (Marche)
- シャボン玉(ロンディーノ) Les Bulles de Savon (Rondino)
- 陣取り鬼ごっこ(スケッチ) Les quatre Coins (Esquisse)
- 目かくし鬼ごっこ(夜想曲) Colin-maillard (Nocturne)
- 馬とび(奇想曲) Saute-Mouton (Caprice)
- 小さな旦那様、小さな奥様(二重奏) Petit mari,petite femme! (Duo)
- 舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop)
小組曲「子どもの遊び」(管弦楽版)
- ラッパと太鼓(行進曲) Trompette et Tambour (Marche)
- お人形(子守歌) La Poupee (Berceuse)
- こま(即興曲) La Toupie (Impromptu)
- 小さな旦那様、小さな奥様(二重奏) Petit mari,petite femme! (Duo)
- 舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop)
今日では、ビゼーの「子供の遊び」と言えばこちらの管弦楽版の方が有名なようです。
聞くところによると、連弾曲は譜面ヅラは易しそうなのに、二人できちんとあわせるとなると結構厄介な代物らしいです。
ゆったりと、そして熱く
ミンシュの録音と言えば「RCA」と強く結びついていますから、「コンサートホール(Concert Hall Society)」にも録音をしていたことに驚きました。もっとも、今頃何を言っているんだと言われそうなのですが、考えてみれば1962年にボストン交響楽団の常任指揮者を退いていますから、それと前後して「RCA」との契約も切れたのかもしれません。近年発売された「Charles Munch - The Complete RCA Album Collection」というボックス盤では1963年3月14日にボストン交響楽団ではなくて、フィラデルフィア管弦楽団と録音したのが「RCA」での最後になっているようです。その後、フランスが国威をかけて設立したパリ管弦楽団を率いることになり、ベルリオーズやブラームスで圧倒的な音楽を聞かせたのですが、それらは「His Master's Voice(EMI)」が録音をしていました。
ですから、その間に何も録音活動をしていないはずがないのであって、その期間を埋めたのが「コンサートホール」での録音だったようなのです。
ただし、その録音は片手間どころではなくて、注目に値する録音となっています。
ミンシュと言えば、どうしても最晩年のパリ管弦楽団との録音が思い浮かぶのですが、それは彼の録音の中でも特異と言ってもいいほどの熱い演奏になっています。それと比べれば、彼が長きにわたって相棒を組んできた「RCA」でのボストン交響楽団での録音はばはるかに常識的な範疇におさまっています。
ですから、その変化に多くの人が驚くのですが、その両者を結ぶミッシング・リンクのような存在なのが「コンサートホール」での録音だったのです。
ビゼーの交響曲は若書きの作品です。
しかし、ここでのミュンシュはそう言うことは忘れてしまったかの様に、ゆったりとしたテンポで大きな音楽として仕上げています。ビゼーの交響曲ってこんなにも立派な音楽だったのかなと思うほどです。
さらに言えば、その音楽には溢れるほどのロマンティシズムが注ぎ込まれています。
そして、そのスタイルは同じレコードにカップリングされている「子どもの遊び」や「祖国」においても同様です。とくに、「子どもの遊び」の熱さは最晩年のパリ管での音楽に結びついていくようなおもむきがあります。
こうして聞いてみると、やはりアメリカは「ザッハリヒカイト」な音楽が支配的だったんだなと思わざるを得ません。おそらく、その潮流はミュンシュの本性とどこか相容れないものがあったはずです。
しかしながら、ボストン時代のミンシュは同時代のアメリカの指揮者と較べればはるかに主情的な音楽を聞かせてくれたのですが、それでも最後の枠は踏み外さないようにしていたのでしょう。
ボストン響を退いてフランスのオケが活動の中心になると、そう言う枠を気にすることもなく、己の思うがままに音楽を楽しむようになったのでしょう。
この「コンサートホール」レーベルでの録音を聞くとそのような妄想がわきあがってきます。