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ビゼー:「アルルの女」組曲第1番


ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1958年1月26日録音をダウンロード

  1. Bizet:L'Arlesienne Suite No.1 [1.Overture]
  2. Bizet:L'Arlesienne Suite No.1 [2.Minuetto]
  3. Bizet:L'Arlesienne Suite No.1 [3.Adagietto]
  4. Bizet:L'Arlesienne Suite No.1 [4.Carillon]

編成を変えて大成功



この作品はアルフォンス・ドーテの戯曲「アルルの女」の劇附随音楽として作曲されました。戯曲の方は大成功を収めアルフォンス・ドーテの名声を不動のものにしたそうです。残念ながらフランス文学には至って暗いので、アルフォンス・ドーテという名を聞かされても全くピントこないのですが、そちらの世界ではなかなかに有名な人らしいです。
ただ、ビゼーが必死の思いで作曲した方の音楽はあまり評判がよくなかったという話が伝わっています。

理由ははっきり分からないのですが、どうも「アルルの女」を上演した劇場のオーケストラが小編成で技術的にも問題があったのではないかと推測されています。
しかし、作曲をしたビゼーの方はこの作品に絶対の自信を持っていたようで、全27曲の中からお気に入りの4曲を選んで演奏会用の組曲に仕立て直しました。これがアルルの女の第1組曲です。劇判音楽の方はいびつな小編成のオケを前提としていましたが、組曲の方は通常の2巻編成のオケを前提として編曲がなされています。
そして、ビゼーの死後、親友のギローが新たに4曲を選んで(有名な第3曲のメヌエットは「美しいパースの女」からの転用)組曲にしたのが第2組曲です。
この組曲の方はビゼーの死後に発表されて大好評を博しました。
<第1組曲>

  1. 第1曲:「前奏曲」

  2. 第2曲:「メヌエット」

  3. 第3曲:「アダージェット」

  4. 第4曲:「カリヨン」


<第2組曲>

  1. 第1曲「パストラール」

  2. 第2曲「間奏曲」

  3. 第3曲「メヌエット」

  4. 第4曲「ファランドール」



音楽の楽しさと美しさにひたらせてくれる

最近の事ですが、何人かの方々と話し合う機会があり、その時に「名曲喫茶」のことが話題になりました。話題を提供されたのはかなりの年配の方なのですが、大学時代を京都で過ごされた方で、学生の街と言うことで幾つか有名な「名曲喫茶」があって、京大御用達とか同志社御用達みたいな雰囲気で棲み分けていたそうです。
その方の話によると、京大御用達の店のメインはバッハやベートーベンで、同志社御用達の店ではチャイコフスキーなどが人気があったそうです。

ただし、両者には共通点があって、どちらも雑談をしながら音楽を聞くなどと言うのは御法度で、誰もが無言で姿勢を正して音楽に聴き入ることが当然の約束事だったそうです。そして、何人かの年配の方も「そうそう、あの雰囲気は今から思えば懐かしいけれど、今から思えばちょっと滑稽ですよね」などと語っていました。

レコードが貴重品で、個人で購うには二の足を踏むような時代にあっては、クラシック音楽に身近にふれる場として「名曲喫茶」は貴重な存在だったようです。
しかし、そう言う名曲喫茶では人生の苦悩を全て引き受けたような佇まいで目を瞑って聞き入る学生が多くいたようで、おそらくはそう言う土壌がこの国におけるクラシック音画の受容のあり方に少なからず影響を与えたことは間違いないようです、

つまりは、クラシック音楽というのは楽しむものではなくて人間の奥深い精神性を高めるためのものだという受容のされ方です。
もちろん、それもまたクラシック音楽が持つ美点の一つであることは否定しませんが、その呪縛から抜け出すのは容易ではなかったようです。

言うまでもなく、クラシック音楽といえどもそれは音楽なのですから、まずは聞いて楽しめるエンターテイメント性が大前提です。修行のために音楽を聞きに行くわけではないのですから、まずは聞いて楽しいと言うことが必須条件であるはずです。
しかし、どうしても「聞いて楽しい」だけでは音楽に深みがないとか、精神性が足りないなどと言って、そう言うエンターテイメント性を前面に押し出す音楽家は一段も二段も低く評価されてきました。

おそらく、通のクラシック音楽ファンからオーマンディやカラヤンが低く見られてきた背景にはそういう事情があったことは否定出来ません。
しかし、音楽を楽しく、そして美しく聞かせるというのは意外と難しくて、高いスキルが必要だということに人は次第に気づいていきます。手兵のオケを極限まで鍛え上げることで作りあげたベルリンやフィラデルフィアの響きはそう容易く実現できるような代物ではなかったのです。

実は、このビゼーの作品をロジンスキーの録音後にこのオーマンディの指揮で聞いたのですが、やはりビゼーはこうでなくっちゃいけないよねと思ってしまいます。
どっぷりと音楽の楽しさと美しさにひたらせてくれるオーマンディのような存在はもう一度見直されるべきではないかと痛感した次第です。