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バッハ :平均律クラヴィーア曲集 第1巻, BWV 852‐BWV 857(Bach:The Well-Tempered Clavier Book1, BWV852‐BWV857)
(Cembalo)ラルフ・カークパトリック:1962年5月12日~26日&6月15日~27日録音(Ralph Kirkpatrick:Recorded on May 12-26 & June 15-27, 1962)をダウンロード
- Bach:The Well-Tempered Clavier Book1 in E-flat major, BWV 852
- Bach:The Well-Tempered Clavier Book1 in E-flat minor, BWV 853
- Bach:The Well-Tempered Clavier Book1 in E major, BWV 854
- Bach:The Well-Tempered Clavier Book1 in E minor, BWV 855
- Bach:The Well-Tempered Clavier Book1 in F major, BWV 856
- Bach:The Well-Tempered Clavier Book1 in F minor, BWV 857
クラヴィーア奏者たちの旧約聖書
バッハの平均律に関しては「成立過程やその歴史的位置づけ、楽曲の構造や分析などは私がここで屋上屋を重ねなくても、優れた解説がなされたサイトがありますのでそれをご覧ください。」としていたのですが、すでにリンク先が無くなっていたりしますので、少しばかり自分なりの紹介を書いておきます。
まずは、この作品は基本的には練習曲であることは間違いありません。それはこの作品の成立過程からも明らかです。
注目すべきは、バッハが自分の長子のために書き始めた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」です。
この作品はその名の通り、フリーデマンの教育のために書かれた作品集で、フリーデマンが9才を少しこえた「1720年1月22日にはじめる」と記されています。このフリーデマンはバッハがもっとも期待していた息子であり、息子の成長につれて1曲ずつ書き込んでいったと思われます。
そして、何年にわたって書き込まれたかは不明ですが、結果的には62曲から成り立っています。そして、その62曲の中には、後に「インヴェンションとシンフォニア」と題されることになる全30曲や「平均律クラヴィーア曲集第1巻」のプレリュードのうちの11曲が含まれています。
「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は1722年に、そして、「インヴェンションとシンフォニア」と1723年にまとめられたことになっているのですが、それはそれらの年に一気に書かれたものではなく、おそらくは「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」に代表されるような息子や、おそらくは弟子たちのために書きためられた作品をある種の意図を持ってその年にまとめられたと見るべきものなのです。
そして、バッハがそう言う過去の作品の中から「平均律クラヴィーア曲集第1巻」としてまとめようとした意図は、自筆譜に記された「標題」から明らかです。
平均律クラヴィーア曲集、または、長3度すなわちドレミも、短3度すなわちレミファも含むすべての全音と半音を用いた前奏曲とフーガから成る。
音楽の学習を志す若者が有益に利用するために、また、この学習に熟達した人びとが特別の慰めを得るために
ついでにあげておけば、「インヴェンションとシンフォニア」の序文には次のように記しています。
クラヴィーア愛好家、とりわけ学習希望者が、2声部をきれいに演奏するだけでなく、さらに上達したならば、3声部を正しくそして上手に処理し、それと同時にすぐれた楽想(inventiones)を身につけて、しかもそれを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレの奏法を習得し、それとともに作曲の予備知識を得るための、明瞭な方法を示す正しい手引き。
つまりは、バッハはこれらの作品にはたんなる練習曲だけでなく、それらの作品を通してより幅広い音楽的な感性を養うことを求めたのです。そして、「平均律クラヴィーア曲集」には「学習に熟達した人びとが特別の慰めを得るために」という深い言葉も付しています。
さらに、「平均律クラヴィーア曲集」には「平均律」という鍵盤楽器のための新しい調律法に挑むという意気込みもあったようです。
言うまでもなく、鍵盤楽器はオクターブを12の音階に等分します。しかし、単純に12等分すると、その等分の出発点とする音階によって上手く響かない調が出来てしまいます。これは受け売りなのですが、出発点を「C」に設定すると「ハ長調」は素晴らしく美しく響くのですが「ホ長調」はどうしようもなく穢く響くそうです。
その事は、ハ長調の作品でホ長調に転調すると困ったことになると言うことにも繋がります。
そこで、この不都合を何とか解決してどの「調」も綺麗に響くために、完璧を目指すのではなくて、多少の狂いは目を瞑ってお互いに折り合いをつけることが必要になるのです。
その時に、重要なのは、人間の耳がもっとも敏感に聞き取る「オクターブ」と「完全5度」「長3度」の響きの取り扱いでした。
つまりは、この人間の耳が敏感に感じとる響きにどの程度の犠牲を強いるかと言うことで、「長3度」に重きをおくか「完全5度」に重きをおくかの意見の違いがあったのです。
バッハの時代には「長3度」を大切にしてそれを出来るだけ狂いなく響かせることを重視し、その代わりに「完全5度」に犠牲を押しつけるやり方が一般的でした。しかし、そのやり方に真っ向から異議を唱え、「完全5度」をより純正に保てば「長3度」は多少ずれてもそれほど目立たないと主張したのがバッハです。
そして、その主張の正しさを作品でもって証明して見せたのが、この「平均律クラヴィーア曲集第1巻」だったのです。
ですから、バッハが晩年にまとめた「平均律クラヴィーア曲集第2巻」はその成立過程は1巻とは大きく異なります。
まず、「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の自筆譜には「24の前奏曲とフーガ」としか記されていません。また、作品がまとめられたのはバッハの晩年にあたる1742年なのですが、そこには晩年の作品だけでなく、1巻がまとめられる以前に作曲された作品も多く含まれていて、それこそバッハの創作力がもっとも旺盛だったおよそ20年間の作品の中から選択されたものをもとに整理されているのです。
ですから、作品全体には1巻のようなまとまりに欠ける面はあるのですが、多様性という点では目を瞠るものがあるのです。
まさにハンス・フォン・ビューローが「平均律クラヴィーア曲集のプレリュードとフーガはクラヴィーア奏者たちの旧約聖書であり、ベートーベンのソナタは新約聖書である」と言ったのは見事なまでにそれらの作品の本質を言い当てているのです。
豊かな音楽性を外に向かって放出している
カークパトリックはクラヴィコードを使って1959年に、バッハの平均律第1巻の見事な演奏を録音しています。にもかかわらず、、1962年にもう一度平均律第1巻を録音していると気づいたときはクエスチョンマークがいくつも頭の中にを駆け回るような思いで、最初は、これって録音クレジットのミスではないかと思ったほどです。そして、第2巻に関しても同じようなことがおこっているので、最初は随分と混乱してしまいました。
そして、あれこれと調べてみてやっと整理がついたのですが、要は、カークパトリックはクラヴィコードとチェンバロを使って2種類の平均律を録音したと言うことでした。
- 1959年録音:平均律第1巻(クラヴィコード)
- 1962年録音:平均律第1巻(チェンバロ)
- 1965年録音:平均律第2巻(チェンバロ)
- 1967年録音:平均律第2巻(クラヴィコード)
あの膨大な作品を一度録音するだけでも大変なことなのに、カークパトリックは楽器の種類を変えて2度も録音していたのです。そして、バッハの平均律はこの二つの楽器を使って録音する必要があるという強い信念がカークパトリックにはあったようなのです。
問題は、この作品に与えたバッハの名称です。それは「Das Wohltemperirte Clavier」というもので、日本語では一般的に「平均律クラヴィーア曲集」と訳されています。
この「クラヴィーア」という楽器がな何を指し示すのかと言うことに関しては時代の変遷の中で変化していったようなのです。
18世紀のドイツでは「Clavier」は「Clavichord(クラヴィコード)」をあらわす用語として理解されていたので、英語圏ではご丁寧に「The Well-Tempered Clavichord」と記されていたようです。
しかし、バッハが生きた時代における「Clavier」は特定の楽器を表す言葉ではなくて、クラヴィコード、チェンバロ、さらにはオルガンという「鍵盤楽器」一般を表す言葉だったことが次第に知られるようになっていきました。学者でもあったカークパトリックは、「Clavier」と言う用語は何か特定の楽器に結びつく用語ではなく、その演奏にあたっては鍵盤楽器であれば何を使用しても問題はなく、バッハ自身もそのような意味合いにいて「Clavier」と名づけたと結論づけています。
ですから、自らの領分として考えれば、オルガンで演奏するのは無理としても、最低限クラヴィコードとチェンバロを使った2種類の録音は仕上げる「義務」があると確信して多いた様なのです。
ついでながら、その考えを延長すれば、バッハの時代には存在しなかった「ピアノ」を使って演奏することも何の問題もないと言うことになるわけです。
ただし、使用する楽器が異なると、音楽の相貌は随分と変わってしまうと言うことを、このカークパトリックの2種類の録音は私たちに教えてくれます。
クラヴィコードを使った1959年の録音はまさに聞き手を意識せずに自分のために演奏された平均律であるように感じられました。それは、静かに深く深く心の奥底へと沈潜していくようなバッハの姿が表現されていました。
しかし、この1962年と1965年に録音されたチェンバロの演奏では明らかに聴衆を意識したバッハになっています。
それは言葉をかえれば、チェンバロという楽器で可能なフレージングやタッチの変化を極限まで追求して、その豊かな音楽性を外に向かって放出しているのです。
そして、そこで思い出すのは、ここでもまたバッハがこの作品集に与えた標題の一文です。
そこにバッハ「音楽の学習を志す若者が有益に利用するために」としているのですが、それはこの翌年にまとめられたインヴェンションとシンフォニアの序文の中に記された「すぐれた楽想を身につけて、しかもそれを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレの奏法を習得し、それとともに作曲の予備知識を得るための、明瞭な方法を示す正しい手引き」を想起させます。
つまりは、この作品集はたんなる練習曲ではなくて、様々な作曲の予備知識を得るための作品でもあると言うことです。
そして、カークパトリックの考え抜かれたフレージングとタッチの多様性は、それらの作品を萌芽としてさらに広い音楽の世界を想像させるものになっているのです。
それにしても、これほども骨の折れる仕事に2度も、それも全く異なったアプローチが必要な2種類の録音を成し遂げたカークッパトリックには敬服するしかありません。