FLAC データベース>>>Top
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960(Schubert:Piano Sonata in B-flat major, D.960)
(P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音(Wilhelm Kempff:Recorded on January, 1967)をダウンロード
- Schubert:Piano Sonata No.21 in B-flat major, D.960 [1.Molto moderato]
- Schubert:Piano Sonata No.21 in B-flat major, D.960 [2.Andante sostenuto]
- Schubert:Piano Sonata No.21 in B-flat major, D.960 [3.Scherzo; Allegro vivace con delicatezza]
- Schubert:Piano Sonata No.21 in B-flat major, D.960 [4.Allegro ma non troppo]
王冠の煌めく作品
シューベルトの死の年になる1829年の9月に、わずか数週間の間に遺作となる3つのソナタが書かれました。
ハイドン・モーツァルト、そして何よりもベートーベンのソナタ作品の模倣から始まったシューベルトのピアノソナタは、ここにおいて確固とした自らの言葉を獲得しました。
3作品の中でも、通常19番・20番とナンバーリングされるソナタは、シューベルト的というよりは、ベートーベン的なるものの総決算という雰囲気が強い作品です。その意味では、それらに先行するD.850やD.845などの作品よりは後退しているように見えるかもしれません。しかし、それは一年前に他界したベートーベンへの追悼の意味を込めて書いたためだと言われています。
そして、シューベルトはそれら2作品で内在する「ベートーベン的なもの」を総決算することで、最後の変ロ長調ソナタにおいて真にシューベルト的な世界へと歩を進みはじめたのです。
ただし、その最初の大きな一歩が、シューベルトの人生においては最後の一歩になってしまったところに言いようのない痛ましさを感じてしまいます。
シューベルトはこのソナにおいて、ベートーベンとは全く異なった言葉で音楽を語っています。
彼はもはやベートーベンのように主題を小動機に分解して音楽を構築しようとはしていません。主題は繰り返される転調によって響きを変化させ、その響きの移ろいによってに音楽は構築されていきます。
主要主題はその旋律線を崩すことなく、自立性を保って楽章全体を支配しています。
「シューベルトのピアノ作品の中で王冠の煌めいているのは何よりも変ロ長調ソナタであり、ベートーベン以後に書かれた最も美しいソナタである」という言葉は、決して誉めすぎではないのです。
悲しみと告白に寄りそう
ブレンデルはケンプのことを「エオリアン・ハープ」にたとえました。「エオリアン・ハープ」とは自然に吹く風によって掻き鳴らされるハープのことで、神のはからいでそれが上手く鳴ったときは、誰もかなうものがないほどに見事に鳴り響くと言われています。
つまり、ケンプもまた、神のはからいで上手く鳴り響いたときは、それこそ誰もかなうものがないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれるピアニストだと言うことなのです。
そして、そう言うケンプの素晴らしさが見事にあらわれているのが1960年代のシューベルトのピアノ・ソナタ全集でしょう。
その全集録音は1965年に始まって1970年に完了しています。
つまりは、残念なことにその全集の少なくない部分がパブリック・ドメインからこぼれ落ちてしまったと言うことです。法改訂によって1967年までにリリースされたものしかパブリック・ドメインにならないので、このサイトで紹介できるのは以下の録音だけです。
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D.894「幻想」 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 D.840 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D.664 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
しかし、欲を言えばきりがないのであって、5曲だけでもパブリック・ドメインとしてすくい上げることが出来たことを慶ぶべきでしょう。
言うまでもないことですが、ここには聞いてすぐに分かる華やかさはありません。ケンプはシューベルトのソナタについて常にこのように語っていたようです。
大部分のピアノソナタは、巨大なホールの光輝くライトの下で演奏されるべきものではない。これらのソナタは、とても傷つきやすい魂の告白だからです。もっと正確にいいますと、独白だからです。
静かに囁きかけるため、その音は、大きなホールでは伝わりません。
そうです、ケンプの演奏はシューベルトにかかわらず、常に静けさに満ちているのです。最近、聞いた60年代のモーツァルトやベートーベンの協奏曲であっても、そこには静けさと吹き渡る風のような自然さに満ちています。
ですから、ケンプの晩年の演奏に対してテクニックの衰えなどを指摘しても何の意味もないのです。
彼は常に作品と向き合って、真摯にその悲しみと告白に寄りそうことだけを大切にしています。ですから、聞き手は彼の紡ぎ出す響きの中にそれを聴き取る努力を求めます。それは何気ないテンポの揺らぎであり、意味深い休止符の提示であったりします。そして、それは決して聞く人の耳をすぐにとらえる華やかさとは無縁です。シューベルトは、そのピアニッシモに自分の心の奥底の秘密を託しているのです。
しかし、一度そのケンプの嘆きとシューベルトの嘆きが共鳴していることを聞き取る瞬間があれば、おそらくこの一連のソナタの演奏は人生の宝物となることでしょう。