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ベートーヴェン:「エグモント」序曲, Op.84(Beethovev:EgmontOverture, Op.84)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 1958年11月25日録音(Igor Markevitch:Concerts Lamoureux Recorded on November 25, 1958)をダウンロード
尊敬するゲーテから依頼された音楽
この序曲はゲーテの戯曲「エグモント」のために作曲されたものなのですが、今日ではこの序曲だけがよく演奏されます。
音楽全体は序曲と9曲の付随音楽からなり、通して演奏すると40分程度になル、規模の大きな音楽です。
- 歌曲: Vivace
第1幕第3場の民家の場面で、クレールヒェンが糸を巻きながら得意の「兵隊さんの歌」を歌う。 - 幕間の音楽1: Andante
失恋したブラッケンブルグが自殺してしまおうと悩んで幕が下りると演奏される幕間の音楽。 - 幕間の音楽2: Larghetto
エグモントの独白の後に第2幕の幕が下りると演奏される幕間の音楽 - 歌曲:Andante con moto
第3幕第2場でエグモントを待つクレールヒェンが母に向かって歌う歌曲 - 幕間の音楽3: Allegro - Marcia
第3幕の幕が下りると演奏される幕間の音楽で、エグモントからの愛の言葉を喜ぶクレールヘェンの心の余韻を伝える。 - 幕間の音楽4: Poco sostenuto e risoluto
第4幕のエグモントの台詞が終わらないうちに演奏される幕間の音楽。音楽が力なく終了するとそのまま第5幕に進んでいく。 - クレールヒェンの死: Clarchens Tod
第5幕第3場でクレールヒェンが毒をあおって自殺した後に流れる音楽。オーボエが哀しみの旋律を美しく歌い上げる。 - メロドラマ:Poco sostenuto
第5幕の獄中の場で、エグモントのモノローグとともに演奏される音楽 - 勝利のシンフォニア: Allegro con brio
エグモントの最後の台詞「最愛のものを救うために、喜んで命を捨てること、わがごとくあれ」の後に幕が下り始めると演奏される音楽。序曲のコーダと同一の楽曲であるが、こちらが先に完成されたと言われている。
この戯曲に音楽をつけるように依頼したのはゲーテ本人であり、いろいろあっても彼のことを深く尊敬していたベートーベンは喜んでその仕事を引き受けたのです。
ただし、残念ながら戯曲の方はそれほど成功を収めませんでした。その事もあって、今日では序曲だけが演奏される機会が多いと言うことなのでしょう。
思い切り踏み込んでのフルスイング
こういう演奏を聞かされると、あらためてベートーベンというのは160キロを超えるような剛速球をビシビシと投げ込んでくる豪腕投手なんだなと納得させられます。ベートーベンは常に演奏者に対して全力を投入することを求めるといった人がいました。誰の言であったのかは今となっては思いだせないのですが、大いに納得させられた指摘でした。
それは、オケの技術のレベルにかかわらず、ベートーベンは全力で立ち向かうことを要求すると言うことです。もちろん、それはオケだけに限った話ではなく、ピアニストやヴァイオリニストなどにもあてはまるのでしょうが、私がその言葉を実感として最も強く感じるのはオケの場合です。
おそらく、同じような経験をした人は多いと思うのですが、例えば技術的に少なくない課題を抱えるアマチュアのオケであっても、そこに全力を注ぎ込む意志と情熱があれば、不思議なほどに感動を与えてもらうことがあります。
逆に腕利きのプロのオーケストラがルーチンワークのように演奏してしまうと、表面的にはきれいで整っていても何故かその音楽は心の中に入ってこないという経験も少なからずしています。
おそらく、それは、ベートーベンの音楽には溢れるようなエネルギーとパッションが内包されているからでしょう。
ですから、演奏する者は技術の巧拙に関わりなく、思い切り踏み込んでフルスイングすることが求められるのです。
そして、ここでのマルケヴィッチとラムルー管は、ベートーベンという剛速球に対して、恐れることなく思い切り踏み込んで、渾身の力でフルスイングしています。そして、そのバットは見事にベートーベンの「芯」をとらえて場外にまで飛ばしてしまったかのようです。
マルケヴィッチとラムルー管が録音した序曲は以下の6曲です。
- ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番, Op.72a
- ベートーヴェン:「命名祝日」序曲, Op.115
- ベートーヴェン:「コリオラン」序曲, Op.62
- ベートーヴェン:「フィデリオ」序曲,Op.72b
- ベートーヴェン:「エグモント」序曲, Op.84
- ベートーヴェン:「献堂式」序曲, Op.124
おそらくは、交響曲の全曲録音を目指す中でセッションが組まれたのでしょうが、メインディッシュの交響曲の添え物という扱いは全くしていません。
それどころか、交響曲の時に勝るとも劣らないほどの力を注ぎ込んでいます。そして、作品自体が交響曲と較べればその全体像が把握しやすいだけにベートーベンの音楽が内包するエネルギーとパッションの凄さが分かりやすく、そこに注ぎ込まれた熱量の大きさには圧倒させられます。
まあ、でも録音を終えた後のラムルー管のメンバーはへろへろになったことでしょう。