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エルガー:交響的習作「フォルスタッフ」, Op.68(Elgar:Falstaff Symphonic Study, Op.66)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1964年6月1日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 1, 1964)をダウンロード
- Elgar: Flastaff, Op.68-1. [1.Falstaff And Prince Henry]
- Elgar: Flastaff, Op.68-2 [2.Eastcheap - Gadshill - The Boar's Head, Revelry And Sleep]
- Elgar: Flastaff, Op.68-3. [Dream Interlude: 'Jack Falstaff, Now Sir John, A Boy And Page To Thomas Mowbray, Duke Of Norfolk']
- Elgar: Flastaff, Op.68-4. [3.Falstaff's March - The Return To Gloucestershire -]
- Elgar: Flastaff, Op.68-5. [Interlude: Gloucestershire. Shallow's Orchard (Allegretto) - The New King - The Hurried Ride Back To London]
- Elgar: Flastaff, Op.68-6. [4.King Henry V's Progress - The Repudiation Of Falstaff And His Death]
熱烈なシェイクスピア愛好者

この作品は「交響的習作(Symphonic Study)」となっているので、エルガーの若き時代の習作かと勘違いされそうなのですが、作曲されたのは彼がすでに世界的名声を確立した後の1913年のことでした。
では、何故にそんな時代の作品に「習作」などとネーミングしたのかと言えば、これはリストやリヒャルト・シュトラウスの作品を参考にした「交響詩」だったからです。まあ、謙虚と言えば謙虚な話です。
ちなみに、エルガーは熱烈なシェイクスピア愛好者であり、主要作品の科白を暗唱できるほどでした。ですから、彼がシェークスピア作品をもとにした作品を書く意欲は最初から持っていて、特に強い関心を寄せていたのが「ファルスタッフ」でした。
作曲にあたりエルガーは大量のシェイクスピア研究書を読破し、ファルスタッフを「悪意を持たない悪漢、偽らない虚言者、威厳も品位も名誉もない騎士、紳士、戦士」という、矛盾と葛藤に満ちた人物と分析していました。
この作品は単一楽章ですが、エルガーの解説によれば2つの短い間奏を含む4部構成となっています。
フォルスタッフは鷹揚で人間味のある主題、ハル王子は快活で高貴な主題で描かれ、対比的に用いられています。リヒャルト・シュトラウスの影響もみられる色彩豊かなオーケストレーションと、複雑な対位法的な技巧が特徴です。
物語はフォルスタッフとハル王子の関係から始まり(第1部)、フォルスタッフの根城である酒場での出来事(第2部)、若き日の回想(中間部)、そしてヘンリー5世による拒絶とフォルスタッフの死(第4部)へと展開します。
その表現力と深みのある描写は、エルガーの作曲家としての真価を示すものです。
- 第1部:フォールスタッフとハル王子
尊大なファルスタッフとハル王子の快活さをあらわす二つの主題が自由に変形されながら音楽が展開されていきます。 - 第2部:イーストチープの猪首亭
ファルスタッフが根城にする居酒屋での出来事が語られています。居酒屋でふんぞり返るファルスタッフ、手下とともに金塊を強奪するファルスタッフ、そして、ハル王子に出し抜かれて獲物を掠め取られてしまうファルスタッフ、最後に、酒で憂さを晴らすファルスタッフが描かれます。 - 間奏曲(1)
夢若き日のフォールスタッフを回想する音楽。 - 第3部:ファルスタッフの行進とロンドンへの急ぎの帰京
ファルスタッフは手勢を集め怪しげな風体の一団の行進をはじめます。そして、ヘンリー4世が崩御してハル王子が国王に即位することを知ると、王子による引き立てを期待して急いでロンドンに向かいます - 間奏曲(2)
グロスターシャー州の判事シャローの果樹園で~ロンドンへの帰還 - 第4部:ヘンリー5世の行進とフォールスタッフの拒絶とその死
ヘンリー5世となったハル王子と軍勢が堂々と近づいて来るのですが、ファルスタッフの期待に反しては新国王に冷たく拒絶されてしまいます。
この音符を愛してください
生粋のイギリス人指揮者というのは、なんだかイギリスの作曲家の作品を演奏し録音する事が一つの義務のようになっているように見えてしまいます。なかにはビーチャムとディーリアスとか、ボールトとヴォーン・ウィリアムズのように、分かちがたく結びついているような組み合わせもあります。そして、イタリア系のイギリス人であったバルビローリにもそのことが言いえて、実に幅広くイギリスの作曲の作品を録音しています。とりわけエルガーの作品には強い愛着があったようで、同じ作品を何度も繰り返して録音をしています。
考えてみれば、イギリスは長く音楽の消費国でした。おそらく17世紀のパーセル以降、世界的に知られるような作曲家は長くあられませんでした。その空白は20世紀近くなってエルガーが表舞台に登場するまで続いたと言ってもいいでしょう。
もちろん、その間にヘンデルやハイドンもロンドンで活躍したのですが、彼らをイギリスの作曲家と呼ぶのはふさわしくないでしょう。
そして、エルガーが登場してから、ディーリアスやボーン・ウィリアムズ、ホルストなどが登場するのですが、やはり今一つマイナーです。その後登場したブリテンにしても「イギリス20世紀音楽の父」といわれたのですから、やはりどこか狭い範囲にとどまっています。
しかし、そういう音楽家の作品が私たちの耳に数多く届いているのは、ひとえにイギリスの偉大な指揮者たちが彼らを積極的にコンサートで取り上げ、録音し続けてくれたからでしょう。
そう考えれば、日本のオーケストラや指揮者はもう少し日本の作曲家の作品に理解があってもいいのではないかと思われます。
それにしても、バルビローリがイギリスの作曲家、とりわけエルガーを熱心に取り上げていたのは注目に値します。
ふつうは一つの作品を生涯に2度から3度取り上げていれば多いほうでしょう。しかし、バルビローリはエルガーの数多くの作品を2度から3度取り上げているのは普通のことであって、私の知る限りでは「序奏とアレグロ」などは6回も録音しています。
そして、これもまた他のイギリスの指揮者と同じ傾向だと思うのですが、イギリスの指揮者が取り上げなくても大陸側の指揮者が取り上げてくれるような作品にはそれほど熱心ではありません。典型はホルストの「惑星」でしょうが、エルガーといえば名刺代わりとも言うべき「威風堂々」などはおそらく一回だけしか録音していないはずです。
長大な二つの交響曲でも何度か録音していているバルビローリなのですから、ビジネス的には極めてアンバランスと言わねばなりません。
しかし、その音楽的献身ゆえにグラモフォン誌が世紀末に行ったアンケートでも、20世紀の最も偉大な指揮者としてフルトヴェングラーに続いて堂々の2位に食い込んだのかもしれません。
さて、問題は、そういうバルビローリの数多いエルガー作品の録音をどのようにして取りげるべきかです。
同じ作品を6回録音しているからそのすべてを紹介するのはいかがなものかとも思ったのですが、かといって私ごときの個人的なバイアスで選択して紹介するというのもおこがましい話です。
「この音符を愛してください。」とバルビローリは常にオーケストラプレイヤーに語りかけていたそうです。エルガーとバルビローリと言えば定番中の定番とも言うべき組み合わせですが、その演奏を聴くたびにこのバルビローリの言葉が思い浮かびます。そんなバルビローリの思いを前にすれば可能な範囲で数多く紹介すべきなのでしょう。
まずは、あまり同じ作品が重ならないように、少しずつバルビローリのエルガーを紹介していきたいと思います。