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R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 作品35(Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35)


コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ボーンマス交響楽団 (Vn)ジェラルド・ジャーヴィス 1966年12月30-31日(録音(Constantin Silvestri:Bournemouth Symphony Orchestra (Vn)Gerald Jarvis Recorded on Dcember 30-31, 1966)をダウンロード

  1. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [1.The Sea and Sinbad's Ship]
  2. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [2.The Legend of the Kalendar Prince]
  3. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [3.The Young Prince and The Young Princess ]
  4. Rimsky-Korsakov:Scheherazade, Op.35 [4.Festival at Baghdad. The Sea. Ship Breaks against a Cliff Surmounted by a Bronze Horseman]

管弦楽法の一つの頂点を示す作品です。



1887年からその翌年にかけて、R.コルサコフは幾つかの優れた管弦楽曲を生み出していますが、その中でももっとも有名なのがこの「シェエラザード」です。彼はこの後、ワーグナーの強い影響を受けて基本的にはオペラ作曲家として生涯を終えますから、ワーグナーの影響を受ける前の頂点を示すこれらの作品はある意味ではとても貴重です。

実際、作曲者自身も「ワーグナーの影響を受けることなく、通常のオーケストラ編成で輝かしい響きを獲得した」作品だと自賛しています。
実際、打楽器に関しては大太鼓、小太鼓、シンバル、タンバリン、タムタム等とたくさんでてきますが、ワーグナーの影響を受けて彼が用いはじめる強大な編成とは一線を画するものとなっています。

また、楽曲構成についても当初は
「サルタンは女性はすべて不誠実で不貞であると信じ、結婚した王妃 を初夜のあとで殺すことを誓っていた。しかし、シェエラザードは夜毎興味深い話をサルタンに聞かせ、そのた めサルタンは彼女の首をはねることを一夜また一夜とのばした。 彼女は千一夜にわたって生き長らえついにサルタンにその残酷な誓いをすてさせたの である。」
との解説をスコアに付けて、それぞれの楽章にも分かりやすい標題をつけていました。

しかし、後にはこの作品を交響的作品として聞いてもらうことを望むようになり、当初つけられていた標題も破棄されました。
今も各楽章には標題がつけられていることが一般的ですが、そう言う経過からも分かるように、それらの標題やそれに付属する解説は作曲者自身が付けたものではありません。

そんなわけで、とにかく原典尊重の時代ですから、こういうあやしげな(?)標題も原作者の意志にそって破棄されるのかと思いきや、私が知る限りでは全てのCDにこの標題がつけられています。それはポリシーの不徹底と言うよりは、やはり標題音楽の分かりやすさが優先されると言うことなのでしょう。
抽象的な絶対音楽として聞いても十分に面白い作品だと思いますが、アラビアン・ナイトの物語として聞けばさらに面白さ倍増です。

まあその辺は聞き手の自由で、あまりうるさいことは言わずに聞きたいように聞けばよい、と言うことなのでしょう。そんなわけで、参考のためにあやしげな標題(?)も付けておきました。参考にしたい方は参考にして下さい。


  1. 第1楽章 「海とシンドバットの冒険」

  2. 第2楽章 「カランダール王子の物語」

  3. 第3楽章 「若き王子と王女」

  4. 第4楽章 「バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」




「動」から「静」へ

シルヴェストリと言えば一部では「爆裂指揮者」というレッテルを貼られています。しかし、そんな簡単な一言で決めつけられては困ります。
確かに、有名な1957年録音のドヴォルザークの「新世界より」は強烈な演奏で、それゆえに「爆裂指揮者」というレッテルが貼られたようです。翌年に録音したドビュッシーの「海」なんかも強烈な「荒れ狂う海」でした。
しかし、彼の録音をもう少し聞いてみれば、それとは真逆のアプローチに驚かされることがあります。

私の感覚としては、まずは「新世界より」や「海」のような強烈な表現で注目を浴びたのですが、年を追うにつれて次第に「動」から「静」へと移り変わっていきます。
「新世界より」や「海」では「爆裂」と言われても仕方がないほどの強烈な「動」の表現でしたが、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲などでは「ドラマティック」という範囲に収まっています。同じことがフランクの交響曲にも言えます。
他の指揮者に比べれば十分すぎるほどに濃厚でドラマティックな表現ですが、さすがに「爆裂」とは言えないでしょう。

そして61年に録音したベルリオーズの幻想交響曲あたりになると、それまでのシルヴェストリに見られた濃厚な世界観は後退して意外なほど普通の演奏になっています。もっとも第4楽章「断頭台への行進」では変な響きがしていて意味不明ではあります・・・が。

そして、最晩年に近い66年に録音されたルムスキー.コルサコフの「シェエラザード」などでは十分にドラマティックでありながら佇まいは精緻であり、オケもよくコントロールされています。
さらに、彼が西側で初めて手兵としたボーンマス交響楽団との録音では、静的で極めて精緻な響きに驚かされます。もちろんドラマティックな部分は失っていないのですが、もはや「爆裂、爆演」とは真逆の世界です。

そういう彼の西側での軌跡をたどってみると、そこには見事なまでの「静」から「動」への変身が見て取れます。
そして、どちらがシルヴェストリの「本当」なんだと思うのです。
まあ、どちらもジルヴェストリなのでしょう。「静」であれ「動」であれ、そこにあるのは完全に燃やし尽くした演奏であり、逆から見れば、そこまで燃えていない時は駄演となることは否定できなかったようです。

シルヴェストリについては長らく視野の外にありました。
彼が再び私の視野に入ってきたのはジョルジュ・ジョルジェスクのベートーベンと出会ったからでした。
そして、その結果として彼の残した録音をあれこれ聞きなおしています。
聞けば聞くほど、1969年にわずか55歳で亡くなったことが残念でなりませんでした。できれば手兵のボーンマス交響楽団ともっとたくさんの「燃やし尽くした」録音を残してほしかったものです。