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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調, Op.23
(P)エミール・ギレリス フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1955年10月29日録音をダウンロード
- Tchaikovsky:Concerto For Piano And Orchestra No.1 in Flat Minor, Op.23 [1.Allegro Non Troppo E Molto Maestoso - Allegro Con Spirito]
- Tchaikovsky:Concerto For Piano And Orchestra No.1 in Flat Minor, Op.23 [2.Andantino Simplice - Prestissimo]
- Tchaikovsky:Concerto For Piano And Orchestra No.1 in Flat Minor, Op.23 [3.Allegro Con Fuoco]
ピアノ協奏曲の代名詞
ピアノ協奏曲の代名詞とも言える作品です。
おそらく、クラシック音楽などには全く興味のない人でもこの冒頭のメロディは知っているでしょう。普通の人が「ピアノ協奏曲」と聞いてイメージするのは、おそらくはこのチャイコフスキーかグリーグ、そしてベートーベンの皇帝あたりでしょうか。
それほどの有名曲でありながら、その生い立ちはよく知られているように不幸なものでした。
1874年、チャイコフスキーが自信を持って書き上げたこの作品をモスクワ音楽院初代校長であり、偉大なピアニストでもあったニコライ・ルービンシュタインに捧げようとしました。
ところがルービンシュタインは、「まったく無価値で、訂正不可能なほど拙劣な作品」と評価されてしまいます。深く尊敬していた先輩からの言葉だっただけに、この出来事はチャイコフスキーの心を深く傷つけました。
ヴァイオリン協奏曲と言い、このピアノ協奏曲と言い、実に不幸な作品です。
しかし、彼はこの作品をドイツの名指揮者ハンス・フォン・ビューローに捧げることを決心します。ビューローもこの曲を高く評価し、1875年10月にボストンで初演を行い大成功をおさめます。
この大成功の模様は電報ですぐさまチャイコフキーに伝えられ、それをきっかけとしてロシアでも急速に普及していきました。
第1楽章冒頭の長大な序奏部分が有名ですが、ロシア的叙情に溢れた第2楽章、激しい力感に溢れたロンド形式の第3楽章と聴き所満載の作品です。
ギレリスの西側デビューアルバム
コンチェルトというのはオケとソロ楽器が協調して一つの世界を練り上げていくものなのか、それともこの二つがキッタハッタの世界を繰り広げるものなのか、その基本的なスタンスで音楽の有り様は随分と変わってきます。もちろん、聞き手にとって面白いのはキッタハッタの世界なのですが、そう言う世界をかいま見ることは滅多にありません。
何故ならば、そのスタンスは指揮者とソリストの力関係によって決まります。そして、片方が他方に対して優位ならば穏やかな前者のスタンスを取り、両者が五分と五分となら後者・・・ではなくて、ほとんどは喧嘩別れになって演奏が成立しないというのが一般的だからです。
例えば、セルとグールドの初共演の時のエピソードは有名です。
エッ、そんなエピソード聞いたことがないって?では、簡単に紹介をしておきましょう。
グールドはとにかく神経質な人で、演奏をはじめる前にゴソゴソと椅子の調整をするのが「お約束」でした。椅子の位置をあちこち変えたり、高さを変えたりして、ひどいときはその調整に20分近くかかることもありました。その間、オケも指揮者もひたすら待ち続けることになるのですが、グールド自身はそんなことは全く気にしないで「演奏前の儀式」を続けるのです。
そして、あのセルと初共演した時もこの儀式を始めたのです。・・・何と、恐ろしい!!
やがて数分が経過して、堪忍袋の緒が切れたセルはグールドに言い放ちます。
「君のお尻の肉を1/3インチほどスライスしてくれれば私たちは今すぐリハーサルは始められるんだけどね。」
こうして、二人は右と左に別れていって二度と相まみえることはなかったのです。
このように、お互いが己の言い分を通せば、キッタハッタの世界の前に演奏そのものが成立しないものなのです。
と言うことで、現実問題としては、どちらかが多少は折れて歩み寄らないと基本的にコンチェルトとは成立しない形式だと言えます。
そして、これは全く私の独断ですが、その妥協は、ソロ楽器が言い分を通して、オケはそれにつけましょうという形で決着することが多いように思えます。そして、そう言う常識的な演奏は、これまた私の経験によると面白くないことが多いように思います。
しかし、数は少ないですが、指揮者が主導権を握って、その中でソロ楽器が奮戦するという逆のスタンスがあります。そして、これまた私の独断ですが、こういうスタンスの上に成り立った演奏は意外と聴き応えするものが多いように思います。
何故なら、オケがソリストに主導権を渡せば、「まあ僕たちは伴奏しておけばいい」と言う仕事になったとしてもそれほど不都合はないのでしょうが、ソリストがオケに主導権を渡したときは、その枠の中でこぢんまりと演奏したのでは己の存在意義がなくなってしまうからです。
ですから、主導権は渡しながらもその中で己の存在を精一杯主張せざるを得ませんから、結果的には面白い演奏になるのかもしれません。時には、気がつけばオケとピアノがキッタハッタの勝負をしていたと言うこともあったりするのでしょう。
そして、ここで紹介している録音は、そう言う数少ないオケ優位のもとでピアニストが奮戦している演奏のように聞こえます。
ここでのオケは伴奏などと言う意識は微塵もありません。ライナーは手兵のシカゴ響を使って、「オケだけで聞かせてやるもんね!」と言うほどの意気込みでオケを鳴らしています。それに応えてギレリスも時にはパワフルに、そして時には繊細にピアノを鳴り響かせてそのオケに十分に対抗しています。
それにしても、ギレリスのことを「豪腕ピアニスト」などと言ったのは誰なのでしょうか?彼のピアニズムの基本は繊細なタッチから紡ぎ出される深い叙情性と、細部を曖昧にしないクリアな響きにあることは、このデビューの時からはっきりと刻印されているではないですか。
そして、音楽は基本的には全てライナーの手の中にありながら、不思議なことに、聞き終わったあとに強く印象に残るのはギレリスのピアノです。
ここでのギレリスは、ライナーに向かって斬りつけるようなことはしていませんが、それでもライナーの音楽の中で、己の音楽を精一杯主張してそれは十分に成功をおさめています。
そして、そう言う録音がデビュー盤だったのですから、鉄のカーテンの向こうから姿を表したロシアンピアニズムの凄さに西側世界は強烈な衝撃を受けたことでしょう。
そう言う意味で、二重、三重に恐るべしギレリス!!・・・と言える録音なのです。